個展「雨戸」によせて ドミニク・エザール
北鎌倉の駅を降り、古い家の残る細い静かな道をしばらく歩くと川やお寺、お地蔵様が迎えてくれます。それらと対話しながら歩いていると道は山に掛りだん
だん緑が濃くなっていきます。その先の小さな入口へ誘われるように入ると森の中に階段がうねっていました。昇っていくと白い花が咲く木々に囲まれて黒い木
で作られた建物に至ります。大きなガラス戸を開け中に入ると日常と隔絶した静かな時間と空間に包まれます。それは17歳の始めて日本に来たときに読んだ古
典、「方丈記」に詠われた「はかなさ」に再び触れた思いでした。
その出だしにある“行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶ泡沫は、消え、かつ結び、久しくとどまる事なし。世の中にある人と住
家と、またかくの如し。”をテーマとして「雨戸」によるインスタレーションを行うことを決めました。そして創造的な時間と空間を共にし、そのコンセプトを
より鮮明に観客に伝えるためにフランスからダンサーのマリ・セガラン氏を招聘し、ウッドベースの吉野弘志氏、映像アーティストのヒグマ春夫氏と共にコラボ
レーションすることといたしました。
タイトルの「雨戸」について
今、日本では古い家屋が情け容赦もなくどんどん壊されています。
私の住む隣の二軒の家も庭の大きな木が切られ、やがて取り壊されていく家を我が家のすだれの向こうに見送りながら写真を撮るうちに、せめて雨戸をもらえな
いかと頼み込み、雨と歳月に晒されていた雨戸十四枚をようやく貰い受け、今回の個展の重要な素材となりました。
親しい友人の遠藤弥子は言う
「・・・昨年サンマロでのコラボレーションから発展していることは、今回エザールが以前からその仕事に惹かれていたアーティストを自ら集めたということ
である。彼女はインスタレーションに於いても平面の制作に於いてもこのコラボレーションと同じことをしている。以前に彼女が平面作品の手法を「コラー
ジュ」と表示することを嫌っていたことを考える。80-90年代の平面には特に日頃から収集された気に入った素材(糸くず・植物・タマネギの皮など)が和
紙に裏打ちの技法で一体化され、素材は既にあるものに限っていた。惹かれて手に取る行為、その観察、(共感、感謝)配置する動作が制作の過程である。素材
はそれぞれが独立したもので、エザールにとってはコラージュではなく、敬意を払う素材とのコラボレーションだったのではないか。制作の過程で思わぬ展開に
発展することを彼女は望んでいたと思う。
今回のイベントはアーティスト同士4人のコラボレーションであり、エザール以外の3人にはエザールから今は取り壊された日本家屋や残された雨戸の話、イン
スタレーションの構想が伝えられた。様々な表情を持つ空間で、このイベントは彼女にとって今までで最高に思わぬ展開をもたらす仕事になるだろう。」