霜柱・frost crystals/KIBARU Arts Festival 2025 by Higuma Haruo

KIBARU Arts Festival 2025

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会期・11/14(Fri)・15(Sat)10:00-17:00>
会場・旧朝日屋酒造(廃蔵)
KIBARU Arts Festival 2025 11/14(Fri)・15(Sat) 10:00-17:00~記憶を繋ぐ~
プロジェクトが終わって問いを投げかけてみた「廃屋化した建物を甦らせるにはと・・・?」 それは「元に戻す」ことではなく、「空間に応答させる」ことだった。 放置され、時間が堆積し、役割を失い、それでもなお「ざわめき」を発している空間に対して、彫刻の圧縮された木の重量と、映像の「農魂」という時間の記憶を差し出す行為だった。 甦らせるとは「かつての機能を回復させる」ことではなく、いま、この空間が何に応答できるかを問い直すことなのだと感じた。わたしが感じた酒蔵のざわめきは、まだ名付けられていない時間だった。 眼には見えない何かが蠢いている。未開の粒子とクリスタルが結合している空間。これは恐怖というより、意味を失っていない未整理の時間だった。 土壁の剥落や床の不安定さといった「現実的な危険」ではなく、かつての労働、人の呼吸、発酵の時間、放置された年月。それらが混線したままでまだ沈黙していない状態だった。廃屋とは「死んだ空間」ではなく、語られていない時間が過剰に残っている空間なのだと感じた。 彫刻が「錨」になり、映像が「浮遊体」になる。森貴也さんの圧縮木材の彫刻が配置されたことで、酒蔵の梁や床そのものが、急に重力を持った。そこに映像を投影すると、映像は装飾ではなく、重量に対峙する存在になった。 映像の「農魂」というテーマは、労働の反復、身体の記憶、失われたが消えていない時間を内包しているため、彫刻と空間のあいだを漂う幽体のように振る舞う。 ここで重要なのは、映像が「意味を説明しない」ことだった。ただ浮遊し、反射し、梁に絡まり、夜と昼で性質を変えたことだった。 時間帯が差異が示した。10:00–17:00 と 18:00以降の違いは、単なる明暗の問題ではなく、昼空間がまだ現実と地続きの時間であり、夜空間が自律し始める時間だった。ただ時間を紡ぎながら観ること自体で作品になった。これは、「完成された状態を一瞬見る展示」ではなく、空間が変質していくプロセスに立ち会う体験だった。「蘇らせることは、繰り返すこと、それ以外に道はない。」終わって想いおこせば、こういったことを繰り返していくしかないだろうとも思う。 廃屋を甦らせる方法には、マニュアル化も、成功例の横展開もない。空間に入り、ざわめきを受け取り、何を差し出すべきか考え、試し、失敗し、 それでもまたやる。この反復そのものが、建物を生かし続ける行為なのだと思う。 それは、かって農具に「農夫の魂」を感じたことと地続きだった。 結局、廃屋化した建物を甦らせるには、その建物がまだ語りたがっている「時間」に、別の時間をそっと重ね続けるしかない。一度きりのイベントではなく、何度も呼吸を合わせるように。今回の酒蔵は、確かに一度、息を吹き返したのだと思う。 もし次回が現実可能ならば、テーマは「水の記憶」だろう。毎朝散歩していて城原の水路を見ていてそう想った。

ヒグマ春夫の映像インスタレーション
会期・2025年11月14日〜30日<開廊・11:00-18:00>
会場・galleryコネクトプラス

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