「揺れ曲がる紗幕」空気をけずる
2009年5月12日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
solo・ヒグマ春夫
報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)
紙コップの側面を開いて風車型にしたオブジェが前、中、後と七列に上から紐で吊るされ、床すれすれに漂っている。50×500cm程と極端に長い楕円形、二重にまとめられた紗幕が床に置かれている。前と横にプロジェクターと小型カメラが一台ずつ向けられている。暗転し、公演が始まる。
前に向けられたプロジェクターの蓋を開けると、黒い壁に白い線が昆虫のように蠢く。何かを形作っているのだろうか、フラクタル的で有機的な動画だ。DNA、アメンボが作る波紋、植物の葉脈的紋様を思い起こす。よく見ると、釘と磁石かも知れない。交響曲が鳴り響く。
映像が止む。青い光が天から降りてくる。音も止む。前の映像は、床に置かれた小型カメラからのライブ映像に切り替わる。ヒグマは楕円の紗幕の短い輪郭に手をかけ、紗幕を上に掲げ、手前に引き寄せる。青い光に赤と緑が混じり、オブジェの影が三色になる。
ヒグマは紗幕を回す。捩れ曲る紗幕の端は、天井に届くのではないかと思わせる。ヒグマは紗幕を横壁面にアーチ状に設置し、横に向けられたプロジェクターの蓋を開けると、横下からのライブ映像が投影される。上部からの光が潰える。
ヒグマは21本の紐を揺り動かし、一つのオブジェを手が届くギリギリの高さに引き上げ、止める。オブジェは二重から四重に重なっている。それをそれぞれ引き上げては止めていく。
オブジェの開き方は、一つ一つ異なる。前に映る映像と、そこに映り込むオブジェの影が視覚を複雑にする。上からの赤青緑の光が、代わる代わる点灯する。
オブジェの数を記す。後列左から1、2、4、2、4、2、2。中列左から4、3、3、4、4、4、0。前列左から3、3、4、3、2、2、2。ヒグマは恣意的に紐を捩って回転させる。前の映像をCGに切り替える。それは赤い「6」という数字が「W」までに変化するグリッドのモザイクである。
先程と異なる交響曲が流れる。横に映る映像を、赤と青の放射線状のCGに切り替える。ヒグマが二重に重なった紗幕の一つを広げると、80×160cm程の筒型になる。そこにヒグマは入る。前の映像は認識できない何かに変わり、横の映像はヒグマの影が映りこんでよく見えない。
もう一つの紗幕を広げると、200×200cm程の馬の鞍型になり、筒型の紗幕とジョイントされている。前の映像のモザイクはうねり、上からの三色の光は強くなる。曲が止まる。
ヒグマは手をつけていなかった中列左7列の紐に、筒の上辺を結んだ糸を括りつけ、ブラインドカーテンの原理で上に引き上げ、微調整してヒグマの肘の高さに二つの紗幕のジョイント部分が来る辺りで留める。
ヒグマはジョイント部分を持って、紗幕全体を揺さぶる。横の壁面にはヒグマの影と、ヒグマの足の裏のライブ映像が映る。前の壁面には波のCGが投影される。横の映像も、回転する球体のCGに切り替わる。
ヒグマは紗幕から抜けて、座る。再度、異なる交響曲が流れる。前の壁面に、一点遠近に吸い込まれる動画とグリッドの動画が流れる。花にも太陽にも車にも見える。
ヒグマは楕円形の紗幕のアーチを崩し、手に持ち、馬の鞍型と筒状の紗幕の中に下から通していく。横の映像を横からのライブ映像に替える。前の壁面に映る水のCGは、交響曲が流れると共に後ろからのライブ映像に切り替わる。
紗幕に映るオブジェの影が実体に見える。前の壁面に、時計が広がる。ヒグマは紐を揺り動かす。ピアノ協奏曲が鳴り響く。ヒグマは横のプロジェクターを閉じていく。上のライトが落ち、曲はフェードアウトする。何も映していない光だけが前の壁を照らし、揺れている。50分の公演は終了した。
この公演の面白さは、揺れるオブジェにある。オブジェの影が壁に映りこむ様子を記したが、実はオブジェに映像が映る、映像がオブジェ化するという現象が起きていたのだ。これはリアルタイムであるライブ映像と、様々なイメージを喚起させる過去に制作されたCG、スクリーンを張らず直接に映像を壁に投影したこと、スクリーンであるはずの紗幕が楕円型/筒型/馬の鞍型と、立体になっている点でも伺える。網膜に張り付き象徴として内面を揺さぶる筈の映像がぐるりと反転し、内面が剥き出しになり網膜が内在化され映像に還元されていくという不可思議な様相を呈したのだ。
我々は自己の外に逃れることが出来ない。この絶望的な不可能性を、壮大な交響曲が演出する。感傷的とまで言える音楽は、上から点滅する記号性に満ちた光によって打ち消される。そこに視覚を逆転させる映像が投影される。オブジェを触覚的と見做すことも出来る。見る者の視聴覚と触覚と内面を揺れ動かした。ヒグマ自身も同様であったのか。
音、光、映像と、至極単純な仕掛けと言うこともできるのであるが、キッドアイラック・アートホールの特質を充分に引き出している、即ちこの空間を知り尽くしているからこそなせる業であろう。ここでしかできないことと、ヒグマの持つ芸術家としての力を最大限に発揮し、抜群の効果を生み出した最高の公演であると言うことが出来るであろう。
照明:坂本明浩
撮影:川上直行