ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.13

Visual Paradigm shif Vol.13 of Haruo Higum

積み上げては壊す勇気

2009年6月9日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:マルコス・フェルナンデス

映像パラダイムシフトVol.13より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

大中小の銅鑼が一つずつ向かい合わせになるように、距離をとって天井から設置されている。床には小型シンバル、鈴などの各種パーカッション、マレット等が無作為に置かれている。一辺が25cm程の正三角形の白い紗幕が15個、天井から床に50〜150cmの高さで吊るされている。上部では同じ紗幕が9個、水平に張り巡らされている。それを支える白い紐のラインが美しい。
正面の壁面には魚群が投影され、側面の壁面にはプロジェクター下に位置する小型カメラが捉えたライブ映像が映し出されている。
白い服のマルコスは銅鑼を叩く。黒い服のヒグマは小型カメラを手に持ち、二枚のシンバルを擦り合わせるマルコスの足元を捉える。魚群の映像から、プロジェクター下に位置する小型カメラが捉えるライブ映像に正面を切り替える。
マルコスはマレットで床を叩く。正面にはノイズと接写が交互する映像が映し出される。床を叩く音が止むと、ヒグマは舞台中央で紙コップの飲み口を下にして並べ始める。マルコスは極小のシンバルを鳴らす。
ヒグマの影が側面のライブ映像に映りこむが、積み上げる像は入らない。マルコスがチェーンを深い銅鑼にゆっくりと落とし込み音を生み出すと、亜細亜の祭で流れるような金属音がスピーカーから流れてくる。ヒグマは作業を続ける。
マルコスは銅鑼を床に引き摺り、楽音を創り上げていく。上部から赤/青/黄の三原色の光が落ちる。六段に及ぶ「バベルの塔」をヒグマが積み上げると、マルコスは直径10cm程の鈴を鳴らしながら彷徨う。
ヒグマは正面の映像を正面からのライブ、側面の映像を手持ちカメラに切り替え、床にあるブラシやチェーンを映し出し、壁、客席前を経て「バベルの塔」に至り、見詰める。マルコスは極小の銅鑼をバチで叩いては柄で擦る。特大の銅鑼に移行し、演奏を続ける。
その様子の足元をヒグマはカメラで捉える。マルコスはバチをブラシに持ち替え、銅鑼の縁をなぞる。ヒグマは床、マルコス、客席を映し、正面の映像を矩形のアニメーションに替える。砂と轆轤、そして7×7の分割スクリーンに展開していく。側面はライブのままだ。
マルコスはチェーンを床に引き摺る。ヒグマはマルコスを捉えたまま手持ちカメラを床に置き、正面の映像をライブに替える。マルコスは細いスティックで空を切り、音を探しながら歩む。正面の映像は紫で縦横、三角に点滅する。ヒグマは再びカメラを左手に取り、「バベルの塔」ではない別の紙コップを右手で床に落とし、接近して映す。
紙コップが落ちる音に対して、マルコスはシンバルを木片で擦りあげる。雑踏と金属音がスピーカーから流れる。ヒグマが持つ小型カメラのコードが「バベルの塔」を破壊していく。マルコスは中位の大きさの銅鑼をバチで叩く。側面の映像は置かれたカメラのライブ、正面の映像は紫の光が点滅する楕円となる。
ヒグマは正面の映像をライブに切り替える。マルコスははじめて「リズム」を形成する。ヒグマはカメラのコードを手繰り寄せる。マルコスは中位のシンバルを掌に入れ、擦り合わせる。
ヒグマは手繰り寄せたコードに引っ掛かった10個の紙コップをライトで照らし、小型カメラで撮影する。マルコスはシンバルを鈴に持ち替え、それぞれの手によって鳴らす。ヒグマはコップにライトを被せ、カメラを持たない右手を映す。
マルコスは大型の銅鑼をバチで擦る。その影が側面の壁に投影され、ヒグマの手と対比される。その右手がマルコスの映像を包み込む。マルコスの服にも映像は映り込んでいる。ヒグマはカメラを動かし、マルコスの影と映像を交差させる。無論、実体もある。
ヒグマはカメラを回し、マルコスが縦に映るようにする。銅鑼を擦り続けていたマルコスは演奏を止める。ヒグマのカメラは床を経て天井を映し出す。マルコスは再び演奏を始める。ブラシで床を叩くのだ。ここでもリズムが派生してくる。
正面の映像は紫、黄色、オレンジに点滅する矩形、側面はライブのままである。マルコスはブラシの柄で床を叩く。ヒグマは床を映し、ライトを右手に持ち替えて点滅させる。マルコスは自己の体を叩き始める。
スピーカーから時計のベルが鳴り響く。ヒグマは正面の映像を正面のライブに切り替える。マルコスは小さなシンバルを震わせる。プロジェクターが閉じられ、一時間の公演は終了する。

映像パラダイムシフトVol.13より

アフタートークでマルコスは「カメラを意識していない」、ヒグマは「音は聴こえてくる」と述べる。気がつかないほど微細な照明を、森下こうえんが担当した。
人為的なものが音楽であるとするならば、ここにあるものは寄せ集めの音ではなく音楽である。それは、映像を人の営みに還元することにも繋がる。即ち、この公演は音とのコラボレーションではない。見えるものが聴こえ、聴こえるものが見え、メディウムが交差する。「ライブ感」や「振付」がないことは、瞬間のパフォーマンスであることを示している。それは来るべき日の為ではないので、その終点は果てしなく遠い。

照明:坂本明浩
撮影:川上直行