ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.14

Visual Paradigm shif Vol.14 of Haruo Higum

ドレスの花束

2009年9月22日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:小川類

映像パラダイムシフトVol.14より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台向かって左中央に、マネキンの首を紗幕の胴体が支えるインスタレーションが設置されている。右奥にはマック、エフェクター、コントローラ等の複数の機材をテーブルに置き、立脚して操作する小川類が位置している。ヒグマは客席前に位置し、マネキンと小川にプロジェクターを向けている。
ヒグマは中央に雲が沸き立つイメージから小川のライブ映像に切り替え、演奏する小川にこの映像を投射する。沸き立つ雲はコロナに、それは檸檬に変化し、音もまた流れる旋律からコラージュされ物体化したそれに移行する。
眼を閉じていても映像を感じることができるのではないだろうか。水に映る光、扇風機、波、CG、胴体と次々に展開し、イメージが重なる。音は何時しかドローンと打撃に変形する。白い丸いグリッド線が、マネキンを照らす。胴体から発する光と溶け合う。
音と映像は一旦フェードアウトする。場内に波の音が響き、右手の筋肉のCG、数字の映像が飛び交う。白い矩形のグリッドが空間を占拠する。呼び止めるような電子音と留まるような心臓に近い鼓動が響く。ヒグマはグリッドで小川を照らす。
鼓動にハウリングと雷鳴が交差する。デフォルメされた黄色い人物が画面を泳ぐ。波は球体に変化し、それは地球の目玉のようだ。金属的打撃音が深く鳴る。それは断片的でありながらも関係を持ち、持続されていく。
ヒグマはプロジェクターを左壁面に向ける。映し出されている球体が破裂すると、小刻みなピアノ的楽音が彫刻のマッスのように体積を占めていく。球体は手術台の照明のような円と七つの玉を持つCGとなる。
静かな音が内在化されていく。手術台の一つの玉が、白と黒の映像に切迫していく。ミニマルな音階が眠りを誘ったとしても、根底に流れるリズムがそれを揺り起こす。眩暈を起こすCGが投影される。短いタームの音と波の音が重なる。
水平のラインが上昇する映像が投影される。波のエフェクトがフラッシュバックする。「雨」の和音だ。割れていくようなノイズから有機体のようなリズムと「色音」が場内に広がる。隕石が水に降り注ぐような俯瞰的CGから、その様子を水中からとらえた魚眼的CGへと変化する。
右奥に緑の高速飛行する物体から、波の動画へ。ここには影も映り込んでいる。ワールドワイドな曲が流れると、ヒグマはマネキンをとらえる光に手を翳し、影を生み出していく。波のCGが流れ、そこに曲が溶け込んでいく。溶解しながら、崩壊を支える。
ノック、呼び覚ます音が響き渡る。涼しい音ともいえる。「涼しい音」とは何だろう。無色の音、感度がない音、黙秘する音。トリル、反復、そして暖かい。水面に映る木々と回転する球体が映し出される。マネキンが明確になる。空間を、場所を巻き込むような和音が響き、休符を経て破片が飛び散りぶつかり合うような単音と化す。
ヒグマはカメラを切り替え、映像は扇風機から影の多い水面となる。落下するイメージ、浮遊するイメージ、浮かび上がるイメージ、湧きあがるイメージと、音は目まぐるしく変化する。ヒグマはプロジェクターを動かし、再び小川に光を当てる。
赤い漢字が空を飛び、珊瑚のような物体が立ち並ぶ。その物体は一つ一つ明確なのに、視覚で認知することができない。音が拡散する。再び扇風機の動画となると、時を知らせるような音が迎えてくる。カデンツァ。飛び交う電子音。
水の光と影が小川を照らす。音は細分化される。光は紫から赤へ。そして上昇する雲へ。ヒグマは小型カメラを動かし、マネキンのライブを稼動させる。影のシェイプの中に派生する色彩を小川に浴びせる。セザンヌを想い起こす。
呼び寄せる電子音、ヒグマは再び小型カメラを動作させる。低音の連続音。規則的な和太鼓のような響き。中央に照らされる人影の中の炎と色のCG。亜細亜的な破壊音。赤と青の雷鳴のようなCGは、移動、浸食を想い起こさせる。
ヒグマはモノクロの街の写真を高速スライドショーでマネキンに浴びせかける。汽笛のような持続音から天空の音楽へ。マネキンの中で動くマネキン。即ち、ヒグマがマネキンのライブ映像をマネキンに投影している。
スライドは続く。風の音が聴こえる。呼応する二つの音。全面スライドに画面は展開する。マネキンから小川へ。問いかける断片的ナチュラル音とサンドノイズが重なり合う。それは小川が発しているのか、マネキンから出てくるのか、よく分からない。一時間の公演は終了する。

映像パラダイムシフトVol.14より

見えない映像。聴こえない音。認知され得ない時間帯。全てが溶け込み、全てが失われる。しかしこの公演は、全てを明瞭にしたと言い換えることができる。イメージが喪失するのではなく立ち現れてくる。眼に見えるもの、耳に聴こえるもの、それによる内的体験がイメージを創出しているのではないことを、この公演は教えてくれた。それを支えたのは小川の神秘の音と、ヒグマの自然すぎるプロジェクターの動きと、不動のマネキン、キッドアイラックホールの磁場であった。

照明:坂本明浩