ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.15

Visual Paradigm shif Vol.15 of Haruo Higum

回転するレリーフの未来

2009年10月20日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:水野俊介

映像パラダイムシフトVol.15より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

直径10cm程の丸く白い紙が舞台と客席の床に80以上、展開している。天井から吊るされた16本の白い糸には、様々な矩形が切り抜かれた紙皿が、奥の1本と前の1本には一つずつ、それ以外には二つずつ取り付けられている。それぞれの糸には透明な瓶が下部に括られ重石となっている。瓶の上にはマネキンの写真が円柱形に配置されている。この全体をオブジェと呼ぼう。舞台後方と向かって右にプロジェクターが位置し、右のそれの前に小型カメラ、左には机の上に据置のカメラとMacが設置されている。
ヒグマがプロジェクターの蓋を開けMac前に座ると、公演が始まる。水野俊介が舞台右奥に5弦ウッドベースを携えて登場する。スクリーンが張られていない剥き出しのコンクリートに映る左の映像は、正面をカメラがとらえたライブである。フェードバック・エフェクトがかけられているのではなく、映っているものを更に映すので無限連鎖を起こしている。前には水面、森、草原のカラー写真がスライドで投影される。
映像に水野の姿は映りこまない。オブジェの影のみが投射される。水野は指でアルペジオを奏でる。オブジェの影の数だけ白いオブジェに映像が映りこむ。前の写真は妻有のヒグマ作品、新潟の冬の模様の写真がスライドされる。水野は指で大きく弦をカッティングしてから、ベースのブリッジに弓の背を這わせる。そして弓の背で柔らかく弦を弾き、直ぐに指弾きに戻る。それは見る者に語りかけるような曲だ。
ヒグマは右の映像を左からのライブに切り替える。瓶や水野の指が大きく映し出されていく。前の映像は雪が降り始めた季節か溶け始めた時期か、山に雪が残っている写真となる。水野はスラーを多用した曲を奏でる。前の映像は波の実写の動画と紫から緑に変化する輪のCGが重なる。全体はソラリゼーションのように反転した色彩だ。水野は曲を崩して演奏しているようだ。
ヒグマは右の映像をライブに切り替える。手前のマネキンの写真に焦点を合わせ、奥の水野がぼんやりと映っている。前の映像の輪は分裂と集合を繰り返す。波は黒く、輪は紫である。人が動く動画が二重映しになっているのだが、ぼんやりして認識することができない。波は赤く染まり、輪も赤く、顔が映らない白い衣装を着たダンサーの動画が重なる。水野の指弾きにはディレイがかけられている。波は緑と化し、輪はピンクに変化する。
水野が奏でるリズムの強い曲は、歌のように聴こえる。前の映像はダンスのみとなる。高速スライドが重ねられ、認識することができない。右上に赤い後輪が現れたと思うと消え、木々とダンス、サンドストームが重層する。水野は間合いが広い音を羅列し、ランニングする音階へ移行する。音が止まるとヒグマは右の映像をマネキンのアップにし、前の映像を森、雪、夏の写真のスライドにする。
水野は通奏低音的曲を弾き出す。その演奏に、時間が遡っていく感触を受ける。オブジェ群は僅かに揺れている。そのためピントを合わせていない右の映像が、呼吸しているようにも見える。
ヒグマは立ち上がり、一番近い位置のオブジェを揺らす。よく見ると瓶には水が入っている。水が入っている瓶が他にないか確認すると、あと二つある。ヒグマは舞台の中に入り、オブジェに手をかけ一つずつ揺らしていく。
水野はマレットの柄の部分とマレットを交互にしてベースの弦を弾く。確固とした旋律が曲を支える。揺れるオブジェに後ろと左からの映像が映りこむ。そして、オブジェの影が揺れる。
前の映像はヨーロッパ的建築物と波のダブルイメージになる。それは花の写真のスライドに変化する。水野はベースのボディを掌で叩く。オブジェは揺れ続け、時には瓶がぶつかり音を立てる。
ヒグマは水が入ったオブジェの一つを鋏で切り落とし、瓶の蓋を開け、マネキンの写真を入れて再び蓋を閉め、丸く白い紙に載せる。前の映像はダンスと波となり、その色は黄、赤、青、紫と変化する。水野は弓の背で弦を叩き、深いボーイングを始める。前の映像はポラリスでのヒグマ作品の写真となる。水野は指弾きに移行し、反復を繰り返す。オブジェの揺れが前の映像にあるポラリスのヒグマ作品を倒壊していくような錯覚に見舞われる。しかしオブジェの揺れは止まっていく。水野は深いボーイングを行なう。
長い沈黙が訪れる。ヒグマは映像を変化させない。
水野は粘り強い指弾きを行なう。ヒグマはカメラのレンズを手で塞ぎ右の映像を落とす。水野のパッセージは速度を増す。前の映像も止まる。水野は深く刻む。水野のスポットが落ちていく。最後に一フレーズを放ち、50分の公演が終了する。

映像パラダイムシフトVol.15より

ヒグマが水野に課したテーマは「マネキンの眼差し」であった。それは現代フランス哲学でいう「器官なき身体」ではなくもっと言葉通りの、「人間ではないものの視線」という意味であるとヒグマは説明する。ヒグマがこれを強調すればするほど、人間の眼差しの不可解さが浮彫となる。水野の固定された曲に対しての演奏の発想は、時間軸を干渉する。水野が奏でた「曲」の印象が全く残らない。それ程に演奏は空間に溶け込み、環境を支配したと言える。ヒグマは今回、映像の変化、プロジェクターの移動などを最小限に留めた。揺れるオブジェ、沈黙する聴覚、我々の視覚がマネキンの眼差しになっていたのかも知れない。

照明:坂本明浩