和紙が散らばる流儀
2010年1月26日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:入間川正美(チェロ奏者)
報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)
A4の白い紙が後方壁面にL字型に7枚、T字型に28枚、横一列に6枚、もう一列7枚、床を横切る25枚、配置されている。入間川正美は左奥に位置し、客席側を向いているので映像を見ることは出来ない。右のプロジェクターの上には小型カメラが設置され、後方にもプロジェクターが置かれている。
前方の壁面にグリッドの動画が投影される。チェロは刺す様な断片を放つ。グリッドの下にスコールが映し出され、ヒグマの口から胸を写したモノトーンの写真が浮かび上がる。それは色面の拡大へと変化する。天井から赤青緑のライトが舞台に差し込む。
チェロは大きなボーイングで強弱をつけた音を放つ。映像はグリッドに戻る。白と黒、黒と白が入れ替わる。遅い速度のボーイングによるハーモニックスが響く。グリッドは人物像を形成する。入間川は左手を小刻みに振るわせている。
歯車のペン画が投影される。これも白黒が逆転する。チェロから消え入るような擦る音が聴こえてくる。右手の弓の動きが少なくとも左手のグリッドが素早いため、重層的な音を生み出している。静止するグリッドと歯車のペン画が重なる。
入間川は弓の背で弦を弾き、これまでと異なった休符を多用し音を散りばめていく。女性像の写真が溶解しては顔のみにピントが合う動画が映ると、ヒグマは横のプロジェクターを開くが、映像を明確に認識することが出来ない。
前方の壁面ではグリッドの静止画のスライドから、サイケ調の色膜が展開する。入間川は再び細かいフレーズを積み上げる。モノトーンの稲の写真に歯車のペン画が前方を横切る。床を横切る紙を留めている紐をヒグマが引き上げると、側面の映像は右側のカメラからのライブ映像であることが判明する。
入間川は大きく深いボーイングを穿つ。横の映像にはフェードバック効果がなされている。チェロは強いボーイングにより倍音を放ち、隙間無い音が空間を支配する。前の映像は四角いビットが見えるまでに拡大される。
ヒグマは連なる紙を床スレスレの位置にする。前の映像は赤、黄、青に反転された森の写真がスライドし、モノトーンの森と歯車のペン画に変化する。入間川は指で駒とテールピース間の弦を指で弾く。
モノトーンのヒグマの顔写真が前方に映し出され、歯車のペン画と混在する。ヒグマは紐を大きく揺らし、紙を振り落としていく。入間川は右手に弓を持ちながら同時に左手でピッチカートを行い、複雑な音を造る。そして弓の背で弦を叩き、硬い音を落としていく。
紙は7枚落ち、18枚残る。この紙もスクリーンの役割を果たしている。入間川はきつく擦る音をチェロから引き出す。前の映像は赤、青、黄のフラッシュとなり、歯車のペン画、人体の写真、ぶれる波、靄が被さるイメージとなる。
入間川は微細に擦り続ける。前の映像はモノトーンのグリッドと歯車のペン画だ。ヒグマは更に紐を揺すり、紙を下に落としていく。入間川は弓の背と腹と交互に弦を擦る。左手を駒付近に置き、高音を奏でる。
ヒグマは紐を引き上げ、再び床スレスレの位置に保つ。入間川が弓を弦に滑らせる。ヒグマは紐を大きく回し、全ての紙を床に落とす。入間川は布で弦を擦り、鋭い単音を発生させる。前の映像はグリッドと歯車のペン画になる。
入間川は弦に布を被せたまま上からピッキングする。暫しの沈黙を過ごした後、駒に左手を置き浅いボーイングを敢行する。前の映像は赤、青、黄が混在して動いている。ヒグマは紙を折り、紙飛行機にして飛ばす。
入間川は素早い弓弾きを行なう。ヒグマは紙を5つ丸めて投げる。入間川は足を一度踏み鳴らす。横のライブは、一点透視法の幻想的でシュールな映像になっている。前の映像はヒグマのモノトーンの写真から赤、青、黄に反転する森のスライド、歯車のペン画が横切る動画と激しく展開する。
僅かな余白を挟んで入間川は大きく浅いボーイングを行なう。前の映像はモノトーンのグリッドから赤、青、黄に反転する森のスライドとなる。入間川はスラーとピッチカートを多用し、同時に弓を上下する。
前方に、水の入った瓶を持つ人物像の写真が映し出される。ヒグマは裏で作っていた丸めた紙を一本の糸で繋げて形成したオブジェを表に持ち出してカメラに翳し、横に投影する。そのまま中央に運ぶと映像が映りこむ。床に下ろすと横に影が映りこむ。
入間川は細かいフレーズを起こす。前の映像は色面となる。ヒグマはオブジェをゆっくりと回す。入間川はピッチカートとボーイングを同時に行なう。前の映像が止む。深い低音が響く。
横のプロジェクターが止み、照明が落ちていく。入間川の僅かな足踏みが一つ鳴り、50分の公演は深く落ちていく。
入間川の演奏は最早「弦楽器」、「前衛」の領域を超えている。チェロが存在し入間川が居る。この二つの関係にこれまでの何者の定義も関係しない。そしてヒグマの映像と絶対的に一体化しない展開が今回の公演の深い意義となった。
A4の紙によって、前の壁には複雑な「窓」が生れていた。ここにモノトーンと原色の映像が交差する。それがむしろ音楽的だったのかもしれない。
照明:坂本明浩
撮影:飯嶋康二