水滴が染みる境界
2010年10月12日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ヒグマ春夫(特演:森下こうえん(舞踏)
報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)
2×3m程の白い紙が、舞台中央に置かれている。便宜上、入口に近い辺を上辺とし、俯瞰的に描写しよう。上辺左にはヒグマが位置し、中央には一台のプロジェクターが天に向けられ、右には小型カメラが二台高さを変えて設営され、それぞれのレンズは紙に向けられている。一台は床から凡そ30 cm、もう一台は床から凡そ80cmである。上辺を抜かした三辺に添うように、椅子が並べられている。
下辺左には、A4サイズの紙が積まれ、横には透明で直径10cmほどのボールが二つ並んでいる。その20cm程上に位置する同型の一つのボールは、上部に備え付けられた珈琲用具から規則的に落ちる赤ワインを受け止めている。ワインは零れ、紙に染みを創っている。中央にはもう一台のプロジェクターが天に向けられ設置されている。
天井を見ると、床と同様の紙が展開している。公演が始まると、ヒグマは天井のスクリーンの上半分に低い位置からのライブ映像、下半分に水が流れる実写映像を投影する。ヒグマは上辺左の椅子に腰をかけ、紙を見詰めて動かない。水が滴る音が響く。
映像は波であり、川底、俯瞰と時間をかけて変化している。実写が加工された波のCGになると、ヒグマは立ち上がり、A4の紙を一枚手にして広げ、ワインの水滴を紙で受け止める。ドリッピングの如くワインを流し、受け止めた面を下にして床の紙の中央僅か上に縦型に貼る。
天井のスクリーンの上半分の映像を、高い位置からのライブに切り替える。ヒグマは2枚目の紙を横に手に取る。16回水滴を受け止め、一枚目の下に並べて貼る。天井のスクリーンの下半分の映像は、カラフルなイメージの中で赤い漢字が舞い、モノクロの魚群的イメージのCGへ移行する。
2枚目も16滴受け止め、1枚目の下へ縦に張る。ここから零した面を上にしている。天井スクリーンの下半分の映像は、筒状の珊瑚、漢字、扇風機、煙、高速移動する視線、マーブル色の羽、閃光と総てCGであり、目まぐるしく展開する。
天井のスクリーンの上半分は、淡々と貼られていく床の紙を映している。これは象徴的な現象ではなく、客観的な事実だ。3枚目を2枚目の下に縦で、4枚目を3枚目の下に縦で、5枚目を1枚目の上に縦で、6枚目は1枚目と2枚目の間左側に横で裏を貼る。
7枚目は6枚目の斜め上に表で、8枚目は3枚目の右横に横で、9枚目は3枚目の左に少し離して斜め上に、10枚目は8枚目の斜め右上に少し離して、11枚目、ヒグマは膝を折って作業を進める。天井のスクリーンの下半分は飛び散る破片と筒状のCGが投影される。紙を動かさず、水滴は中央に穴を開ける。8枚目の斜め右下に近づけて貼る。
天井のスクリーンの下半分に水平線上の波の動画と雨、雷のCGが投影される。会場に流れる音も、この映像に対応している。12枚目、ヒグマは立ち上り横に線を描くように水滴を受け止める。7枚目の上へ横に貼る。天井のスクリーンの下半分は点滅する光、グリッドと人体のCGが投影される。
13枚目では座って27滴を受け止め5枚目と1枚目の間右に少し離して横に、14枚目途中で立ち上がり15滴受け止め9枚目の左に少し離して縦に貼る。天井のスクリーンの下半分に水の動画と人物の写真、放射物と飛翔物のCGが連続して投影される。
15枚目は14滴受け止め4枚目の右斜め下に繋げる。天井のスクリーン下半分には白抜きの人物像が表れる。16枚目はランダムに5滴受けて15枚目に縦に繋がるように、17枚目もランダムに5滴受けて16枚目に繋がるように縦に、18枚目もランダムに5滴受けて左上の端に横で、19枚目は5滴受けて右上の端に横で、20枚目は7滴受けて左下の端へ横に貼る。
ヒグマは奥から直径2m程の円形のスクリーンを取り出す。縁が柔らかい素材のため、自在に変形する。ヒグマはこのスクリーンを水平から垂直に掲げプロジェクターに翳すと、映像が映りこむ。水滴が垂れないように、バランスをとって操る。
天井のスクリーンの下半分の白抜きの人物像内に、モノクロの街の写真が高速スライドされる。開始から35分経って、下辺右付近に座っていた森下こうえんが円のスクリーンに手を伸ばし、立ち上がっては椅子に座る。
ヒグマは円のスクリーンを水平にしてワインの水滴を受け止め揺るがし、波打たせる。森下は立ち上がり膝を折り体を傾け、床にある紙に、はじめて乗る。ヒグマは円のスクリーンを∞の形に変形させ、森下を捕まえようとする。
天井のスクリーンの下半分には雨、孔雀の羽のようなCGが投影される。円のスクリーンが破けてしまうとヒグマはプロジェクターを閉じ、闇が訪れ、48分の公演は終了する。
下の紙のワインによるドローイング、天井のスクリーン上下に投影される映像、円のスクリーンと森下の動きと、見るものは多重的な視点を求められる。しかし総てが視界に入ったとしても、同時に展開していても、我々は何れかに焦点を絞っている。即ちそれは、ここで起こっている現象を認識していることにはならないのだ。時間とは、物語とは、秘められ、隠された場所で行われている。それは総ての事象に共通する。その事実をこの公演は教えてくれた。
照明:坂本明浩
撮影:宮田絢子