ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.27

Visual Paradigm shif Vol.27 of Haruo Higum

モチーフは互いに近づきながらも分離する

2011年2月22日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:ヤマザキマサト

映像パラダイムシフトVol.27より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

従来舞台であった場所に椅子が置かれ、椅子があった部分が舞台に転換している。そのため舞台の左側は凸状に、右側は凹状になっている。ヒグマのプロジェクターは客席から舞台に二台向けられている。ヤマザキは右側壁面にスイス製のハンドメイド、ハング・ドラム(以下、ドラム)を三体備え、椅子に座る。舞台には赤い光が投影されている。
ヒグマがプロジェクターを開けると、舞台奥左右に映像が流れる。左は波の動画、右は鳥の写真である。左はCG、右は海の風景カラー写真と移り変わっていく。ヤマザキは左右のドラムを両掌でミドルテンポに叩き、映像とは異なる情景を生み出していく。
ヤマザキは一度休止し、二曲目に移行する。左右のドラムをハイテンポで、中音の中に高音を散りばめていく。左のCGは寒色から暖色へ、右の写真は港の風景へと変化する。左は波の実写と暖色の幕のCGが二重に投影される。右はクレーンのカラー写真が投影される。
ヤマザキは中央のドラムのみを使用し、緩やかな三曲目を奏でていく。左の波の実写には虹色のCGが画面を舐めていく。左の写真は防波堤である。左の映像の中に、小さな画面が浮かびあがる。左側はヒグマが2010年11月から12月にかけて展示したフランスのサンマロでの吉野弘志によるウッドベースの演奏とMarie Segaienのダンスコラボの映像であり、右側は画廊でのオープニングパーティの模様である。ドミニック・エザールも映り込んでいる。
ヤマザキの四曲目は、中央のドラムを垂直にしてスティックで底の部分を叩く。低い音が響き渡り、ヤマザキは右のドラムと二つ使用し、高低音を揺さぶる奥行きのある演奏を繰り広げる。三つ目の小さな画面が右の中央に発生し、波のカラーの動画が投影される。右の写真はサンマロの海から見た街並、樹木で出来た波消ブロックとスライドされる。
ヤマザキの五曲目は左のドラムのみを使用し高音を素早く反復させ、OとEの歌声を交えていく。ヤマザキはインドの山羊の皮を張ったダフというタンバリンのような太鼓を緩やかに叩いては休止する。左の中央の画面は上から下へ移動する。右は樹木の部分を異なる角度からとらえた写真がスライドされる。
ヤマザキはダフを左手で押さえ、右手で叩く。押さえる左手の指も使用するので細密な演奏が可能となる。周辺を叩くと高く、中央を叩くと低い音が生まれていく。
ヤマザキは左のドラムのみを用いて、鼓動のような煌びやかな六曲目を演奏する。左の中央の画面は消失し、全体に暖色の色面が広がっていく。右は樹木の細部を捉えた写真が半覚醒状態で見る夢のようにスライドされる。左は暖色のCGと波の動画が重なり、右は樹木の波消ブロックの隙間からみた波の写真が投影される。左は水墨的な世界へ、右は砂漠に流れる河のような写真が移り変わっていく。

映像パラダイムシフトVol.27より

ヤマザキの七曲目は中央と左のドラムを使用する。踏みしめるようなリズムに、不安定だが不快ではない、不可思議な旋律だ。映像の小型画面は左右に二つずつ、計四つ出現する。右全体は波の動画とCGが重なり、右は波と矩形と水平線が連なる。小画面は左の左側が波の中に工具が浮かぶよう加工された写真が高速スライドされ、左の右側には樹木のアップの写真が変化していく。右の左側には歯車のペン画のアニメーションから人型に刳り貫かれた内部で街のモノクロの写真が高速スライドされる。右の右側は樹木の写真が宙に浮き、車窓の景色のように視点はそのまま、景色が移動する。
ヤマザキの八曲目は、ガスボンベの蓋を加工したGANKと呼ばれるドラムを使用する。マレットを用いて、一定のリズムを保ち、隈なく叩く。右、右の右側、右の左側、左、左の右側、左の左側と、6つの映像が暖色と寒色とモノクロ、高速と緩やかなスライドやCG、動画の動きを交えて点滅する。
ヤマザキの最後の曲は、左右のドラムを緩やかに叩き、和音を形成した。映像が閉じられていく。演奏が止まり、55分の公演は終了する。
映し出されている波、CG、工具、人体の一部、街といったモチーフは互いに近づきながらも分離し、自ら関係性を創り上げようともしない。我々はつい関連性を求めてしまう。そして、一つ一つの映像に物語を見出そうとする。しかしここにはそのような期待に応える仕掛けは施されていない。しかし総てが恣意的で乱雑な世界を混在させていくのではなく、ひとつの統一を感じてしまうのは何故か。それは多様な現実の中心なき側面を捕え、同時代的に存在しながらも認識することの出来ない人間の不可能性、神ではない事実を直視しているというより、映像という「点滅」する物理を用いながらも現実を想起させるヒグマのパフォーマンスにその理由を見出すことが出来る。
それはヤマザキも同様のことだ。ヤマザキは映像に即した演奏を行わず、かといって自らの曲の限定に終始することもなく、ヒグマの映像の前で演奏することによって、ヤマザキの現実、出来事を即座に吐露したのである。

照明:坂本明浩
撮影:坂田洋一