ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.28

Visual Paradigm shif Vol.28 of Haruo Higum

「アインシュタイン(B)」と呼ぶ

2011年3月22日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:江角由加(ダンス)

映像パラダイムシフトVol.28より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

従来舞台であった場所に椅子が置かれ、椅子があった部分が舞台に転換している。そのため舞台の左側は凸状に、右側は凹状になっている。ヒグマのプロジェクターは客席から舞台に二台向けられている。
左に馬の鞍型のスクリーンが置かれる。ヒグマはこれを「アインシュタイン(B)」と呼ぶのでそれに従う。江角はその右に立つ。
ヒグマは左に光のCGを投影する。そこに小さな画面が二つ浮かびあがる。左左は水とCGの二重動画、左右は床に置かれた紙に鉛筆で描く手元の動画と赤いCGのラインの動きである。ヒグマは右にライブ映像を投影する。
無音の中、江角は微細に右手を挙げていく。腕が床と水平になると膝を屈め、右手を横へ軽く流し緩やかに沈めていく。
左左にはモノクロの光と水瓶が交差する。左の映像全体は光に青いエフェクトが施され、闇に流れる炎に転換する。江角は両手を水平に保ち、右手を前へ出して上に挙げていく。
ヒグマは右のライブ映像を緩やかに動かし、江角のダンスを捕えていく。右の映像を投影するプロジェクターの上部に、ライブを撮影する小型カメラが置かれている様子だ。
江角の右手は再び横へ流れていく。江角の腰から派生するうねりが膝、腕へと圧し掛かる。左手も横へ広げる。ここまで江角は立位置を変えていない。
左右は円のCGとコンパス画が、左右は水と波が重なる。江角は背を向け足が波打っていく。左の映像全体は闇の中で燃え上がる炎のCGに変化する。江角はアインシュタイン(B)の背後へ回る。
黒い左の映像全体に「1999」が白字で浮かび上がり、加工された花火の動画が映し出され、左左は漢字と波のCGが重なり、左右は森のようなカラーの動画が映し出される。
江角は体でアインシュタイン(B)を動かし、両手でその縁を持つ。中央にも大きく映像が投影され、小さな画面が発生する。中左は紐を用いるパフォーマンスの記録映像、中右は森の中で浮かぶ球体のCGである。
左の映像全体に「1985」が白字で浮かび上がる。全体は波の動画と化し、左左には図書館におけるパフォーマンス記録映像、左右は公園のカラー動画が投影される。
江角はアインシュタイン(B)を操る。無機質でミニマルな電子音が鳴る。江角は丁寧にステップを踏む。ヒグマは中央の映像全体を投影しているプロジェクターを動かす。
江角は背を向け右手でアインシュタイン(B)を掴み、床に転がしては両手で手繰る。中央の画面全体に「1985」が白字で浮かび上がる。
左の画面全体は波の動画である。中央の画面全体はCGによる水墨的世界が広がる。中左は加工されたパフォーマンス記録動画、中右は青地に白いCGが浮かぶ。
江角はアインシュタイン(B)を奥に置き、左前に映像を浴びて立つ。音が止まる。中央の画面全体が左の画面全体に被さる。
江角は踵を軸に指先を立てて揺らぎ、膝を回す。中央の画面全体が赤くなり、江角の顔を照らす。江角は腕を落として膝と踵の動作を繰り返す。
中央の画面全体は黒くなり、中左は加工されたパフォーマンス記録映像、中右は樹木のモノクロ写真がスライドから高速に移動する彫刻のCGと変化する。
江角の膝が深く折れると両手を付いて周る。江角は再びアインシュタイン(B)に手をかける。中央の画面全体に「1995」が白字で浮かび上がる。
江角はアインシュタイン㈼を背に乗せ、ステップを始める。中央の映像がアインシュタイン(B)に映りこむ。江角は腕を伸ばしアインシュタイン㈼を掲げてステップを続ける。
ヒグマは中央の画面全体を凹みに投影し、そこに「1987」が白字で浮かび上がる。中左にはゲーム的CGと扇風機が、中右には波の動画が投影される。遅い速度の単音が響き渡る。

映像パラダイムシフトVol.28より

ヒグマは中央の画面全体を中央に戻す。江角は奥でアインシュタイン(B)を掲げる。左の画面全体には波の動画に赤いエフェクトが施され、左左にはパフォーマンスの記録動画、左右には扇風機の動画が共にカラーで投影される。
江角はアインシュタイン(B)の短辺を両手で支えて動かしながら、ステップを続ける。左の画面全体に「1983」が白字で浮かび上がる。CGによる水墨的世界が広がる中央の画面をヒグマは閉じる。
左の画面全体には、水の流れを接写した動画が投影される。左左にはパフォーマンスの記録映像が、左右にはエフェクトされた動画が映し出される。
江角はアインシュタイン(B)を両掌で保ちつつ、続ける。時には手を離したり、肩や背中で転がしたりする。江角はアインシュタイン(B)を肘で押さえ、深く膝を折り床に展開する。
江角は素早く立ち上がりアインシュタイン(B)を右手で持ち、遠ざけたり近づけたり、壁に押し付けたり自己を囲ったりする。江角はアインシュタイン㈼を二つの円にして、体の前に持ち右へ移動する。
江角とライブ映像が重なる。左の映像全体は水の流れの動画、左左はパフォーマンスの記録映像、左右は消滅する。
江角はアインシュタイン(B)を掲げては床に転がし、手を離す。すると、アインシュタイン(B)は素早く揺らぐのだ。映像が消えると江角は再びアインシュタイン(B)に手を触れる。江角が床に背を付け沈黙すると、48分の公演は終了を告げる。
江角がアインシュタイン(B)の触れていない側に、江角のダンスが派生したのだった。無邪気にも見えるステップにこそ、舞踏の最大の意義でもある「無垢」が隠されている。しかし江角の動きは映像の中では硬い。次回の競演が待たれる。
公演終了後、観客がヒグマに「ダンス、映像、何を中心としているのか」と重要な質問をした。ヒグマは「ない」と応えた。ここにヒグマの思想の根底が隠されている。ヒグマの思想こそ、現代に於ける最も前衛的な芸術なのだということを。

照明:坂本明浩
撮影:宮田絢子