ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.30

Visual Paradigm shif Vol.30 of Haruo Higum

赤い絵具を水で溶かす

2011年7月25日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:木村愛子

映像パラダイムシフトVol.30より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

床には120×80cm程の白い素材が三枚と、丸められた同素材が中央に置かれ、後方壁面には400×400cm位の同素材が貼られている。ヒグマは客席前方に位置し、後方壁面に向けてプロジェクターが配置されている。
後方壁面上にヒグマの唇が強調されたモノクロ写真が投影され、公演が始まる。壁面下にはプロジェクターと同じ方向を向く小型カメラからのライブ映像が投影される。上には円と線のCGが混在し、水が滴る音が聴こえてくる。
上には、円を中心に拡散する有機的なCG、続いてヒグマの髭が強調されたモノクロ写真が拡大される。上下の映像の上部に、テロップが右から左へ流れていく。「人間の幸福を創り出すものが…」。
ヒグマは立ち上がり前中央で立ち尽くすと、テロップが背中に映る。賛美歌とサイレンが入り混じる。ヒグマは左奥へ移動し、素材を捲ると下には画材が並べられている。被せてあった素材を翳すと、下の映像にフィードバック作用が生じる。
テロップは続いている。交響曲的な音楽が流れる。ヒグマは素材を縦に丸めていく。木村愛子が小型カメラを動かしている。照明が隈なく会場を照らす。ヒグマは丸めた素材に形を与えていく。
音楽が途切れ、ヒグマは屈んで素材を床に置く。ヒグマは青い絵具を水で溶き、形を与えた素材に着色していく。後方壁面の上下の映像はテロップのみとなる。ヒグマは後方壁面の素材に流線を描き続ける。
青は下からほぼ中央を昇り左へ、途中で戻って右へ、右の端に到達すると斜め左、右上と続く。緩やかな曲が断片的に流れる。
ヒグマは黄の絵具を水で溶き、線を紡いでいく。その線は左上から左下へ流れていく。そして青の上に重なっていく。後方壁面下はライブ映像に戻る。ヒグマは黄を床右の素材、形を与えた素材、後方壁面の素材に走らせる。
持続的な電子音は、地鳴のようだ。ヒグマは赤い絵具を水で溶き、後方壁面の素材の右上に渦巻きを描く。上下のテロップは続いている。下の映像はフィードバックにより、奥行きが生じている。ここに存在する影も大切な役割を果たしている。
木村は左指を小型カメラに翳し、下の映像の上部に影を創っていく。太陽のように広がった赤は丸めた素材、床左の素材と床にも伸びていく。木村は小型カメラのレンズの全てを掌で覆い、映像を隠す。
バロック調の曲が流れる。テロップは続いている。ヒグマは水で溶いた青に白い絵具を混ぜ、後方壁面の素材の右上から、波を動機とした線を描き始める。その線は左上へと横へ展開する。
ヒグマが描き始めると同時に、木村が小型カメラのレンズから掌を外すと、ライブ映像が後方壁面下に広がる。木村は小型カメラを持ち上げ、客席、床と自らの視線を這わせ、投影していく。

映像パラダイムシフトVol.30より

甘く、スタイリッシュな曲が流れる。ヒグマは青+白で弛んだ線を描いていく。曲が止まるとヒグマは黄+赤の線を後方壁面の素材の中央下から上へと延ばし、反復する。それは人体のフォルムのように変化する。木村は視線を、左から中央へ戻していく。
アンビエントな曲がかかる。ヒグマは青+白で描いた弛んだ線に、黄+赤を入れていく。ロマン主義的な曲に変化しても、ヒグマは続ける。木村は小型カメラのレンズに両指を入れて影を形成する。
ヒグマは水で薄めた黄を、床右の素材に落としていく。小型カメラに指を翳していた木村は立ち上がり、舞台中央へ進む。水の滴る音が響き渡る。木村は足を掲げ、緩急をつけて身体を捻る。
ヒグマは後方壁面と、壁面に貼られた素材の裏に入る。後方壁面の上には流れる水と森のカラー実写映像が、下にはライブ映像が投影される。木村は後方へ腕を折り、膝を伸ばして会場を巡り、身体を揺すっていく。
ヒグマは素材を前に押して立体化させる。後方壁面上には円と線のCGが投影される。公演開始時と同じ映像だ。木村は丸められた素材を口に銜え、離し、拭う。そして自らの左掌を噛む。
後方壁面の上の映像が止み、ヒグマは後方壁面から小型カメラが設置されている場所へ戻る。佇む木村の右掌が上がっていく。木村が丸めた素材を飛び越えると暗転し、45分の公演は終了を遂げる。
アフタートークでヒグマは以下のように語った。自分は慣れすぎているので、初めてカメラを触る木村に映像を託した。打ち合わせは全くしていない。後方壁面と素材の間からのヴィジョンが面白かった。その他、新たな発見が幾つもあった。
テロップはパンフレットによると、ゲーテ著/高橋義人編訳/前田富士男訳「自然の渾沌」(『自然と象徴』冨山房百科文庫)である。黙示録的テロップ、破壊と再生を印象付ける音楽の中で、ヒグマは着色により自らの空間を生み出し、木村の身体を介在させてこれまでにない世界を形作った。踊る木村にカメラを託すことによって、ダンサーである=見られる=客観視される木村を、撮影者=見る=主観的な存在に転換したことは、壁面と素材に位置したヒグマと同様に、正に内と外を循環させたのであった。
慶野由利子、黒岩誠、嶋津武仁らの音源のミックスが公演を複雑にした。第一部の映像上映は、映像の可能性の考察が広がり楽しみが増す。これからも続けて欲しいところだ。

照明:坂本明浩
撮影:坂田洋一