ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.37

Visual Paradigm shif Vol.37 of Haruo Higum

二つの映像は重なり合っている

2012年2月23日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:入間川正美

映像パラダイムシフトVol.37より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台右側には20インチほどのモニター、中央には茶色の曲がりくねった筒のオブジェが置かれ、左側に入間川正美が位置する。暗転すると、モニターに映像が映し出される。実写の動画ではあるのだが、何が映し出されているのか認識することが出来ない。
入間川は突き刺すように鋭いボーイングを行う。モニター内はホワイトノイズと化し、再び実写が投じられる。入間川は短い旋律をリズミックに刻んでいく。後方壁面一杯にホワイトノイズが投影される。
モニターには再度実写が映し出される。後方壁面上部に、入間川のライブ映像が投影される。ホワイトノイズであった下部には、ボールペンで螺旋を執拗に描くカラーの実写が倍速で投影される。二つの映像は重なり合っている。
入間川はネックの根本に左指を置き、旋律というよりも電子音のようなノイズを発生し、不安定で素早いリズムを与えていく。モニターは輝き続けている。入間川は弓を多角的に用いて弦から弦へと素早い移動を繰り返し、複雑な音を奏でていく。
後方壁面下部の映像はモノクロの漣へ、上部はカラーの白人ダンサーの大きな身振りの実写が映し出される。入間川は呼吸するように大きなボーイングで低い音を生み出していく。
後方壁面の上部はライブ映像、下部は泳ぐ鯉のカラー実写から再びモノクロの漣に切断された人体の写真が浮かび上がる映像へと目まぐるしく展開する。入間川は弓を置き琴のようなピッチカートを形成していく。それは奏でられながらも深い沈黙を携えている。
後方壁面上部には異国の風景がカラーの実写で投影される。それは舟であったり、橋であったり、川であったりする。下部は三度ストリームである。入間川は再び弓を持ち、細かいピッチカートを発する。
自由の女神が映し出されると、入間川は激しいボーイングを繰り返す。壁面上部はモノクロのライブ、下部はモノクロの漣に変化する。色彩が映像から音へ映り、音が様々な色彩を放っているような錯覚を覚える。その音が再び映像へ回帰していくのだ。
下部の映像は泳ぐ鯉のカラー実写へ、上部のライブもまたカラーに変化したように見える。入間川は音を密集させる。モニターは光り続けている。下部の映像はモノクロの漣と切断された人体の写真と化す。入間川は実際の沈黙を多く空間に対して与える。
入間川は持続しながらも高音を擦っていく。下部はホワイトノイズ、上部は異国の情景が僅かに映り、直ぐにライブ映像へ回帰していく。入間川は沈黙する。上部は入間川とヒグマのパフォーマンスライブ映像に変化する。ヒグマが何をしているのか、認識することができない。
入間川は大きなボーイングと左指の細かい動きによって、シーツオブサウンドを生み出す。上部にはインスタレーションの実写がカラーで投影される。ヒグマはプロジェクターに直接指を翳し、影を生み出す。
入間川が広くしかも深い旋律を刻み込んでいくと、後方壁面上部はライブ、下部はボールペンで螺旋を執拗に描くカラーの実写が倍速で投影される。下部の映像が失われても、入間川は粘着質な音を、出し続ける。

映像パラダイムシフトVol.37より

下部には再び、ボールペンで螺旋を執拗に描くカラーの実写が倍速で投影される。入間川は呼吸するかの如く、弓を弦上に走らせる。この時、沈黙は闇と同化する。その闇を闇のままとせずに、入間川とヒグマは切り込んでいくのだ。
入間川は果敢に切り裂いていく。最早沈黙は失われた。下部には、高速道路を走る車の実写が投影される。そして、ホワイトノイズが続く。モニターの光が止む。下部の映像が閉じられる。終焉しても、入間川のチェロに終ることがない錯覚に塗れたまま、54分の公演は静かに閉じていくのだった。
オブジェはヒグマが30年前に煙草の吸殻で創った作品であった。80~90年代にニューヨークで撮影された映像を使用した。モニターに現れるホワイトノイズは地上波独特のものであり、総てがデジタル化された現在ではもう見ることができなくなったものではないか。過去を顧みるのではなく、未来に発するとヒグマはいう。
続いてヒグマは自己の「映像」の意図を説明する。一つの物語を形成する「映画」とは異なり、一つの部分を見ることでも多角的に見る者が想像することのできる作品作りに努めたいとアフタートークで語る。
ここに立ち現れる余韻は何だろう。ヒグマは徹底的に時間を無化し、過去との未来の境目を破壊した。入間川は、自己の内部の光を発行することにより、ヒグマの形成する空間に光を灯した。早川誠司による照明の明暗も、この公演の多大な影響を齎した。照明がなければ、我々は空虚の時間に侵食されてしまったであろう。
我々は記憶を持つことで過去を補完し、未来を引き寄せることができる。しかし、目の前にある現在を認識することができない。現在が認識されてしまうと同時に、記憶として過去と未来の狭間を旅することになる。 (この原稿は、坂田洋一撮影の映像に拠った)

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一