波とオブジェが重なるような錯覚
2012年5月23日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:さがゆき
報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)
2×5mはあろうか巨大なオブジェが、舞台中央の天井から床を支配している。ビニールの買い物袋を繋いだ素材ではあるのだが、薄暗い照明の中では質感が毛皮にすら見える。オブジェの前方床に、二台のプロジェクターと鏡が設置されている。
さがゆきが舞台右奥の窪みから声を発することによって、公演は始まる。黒地に白いグリッドが折れ線グラフのように流れるCGによる同じ映像が、左右の壁に投じられる。さがの歌声はKarlheinz Stockhausenの《Stimmung》の
ように禁欲的で静謐だ。それは歌声というよりも、発音と記したほうが相応しいのかも知れない。
ヒグマは光と影のみの映像に切り替える。それがライブであるのかは、認識することが出来ない。ヒグマは映像を波の実写とうねりをあげるCGへと切り替える。さがは発音の音量を上げ、強度も増していく。青いライトがオブジェを照らす。
ホワイトノイズをバックに樹木の枝のシルエットのような映像が、拡大されては引き戻る。ヒグマは映像を一時休止する。さがは声の高低を使い分けながらも、持続させていく。オブジェを照らすライトが強くなっていく。
両壁面に波とオブジェが重なるような錯覚に見舞われるが、それは直ぐに失われてしまう。映像は再び立ち現れる。円の中で波が打ち、矩形が横切っては面を形成するCGである。さがはオブジェの前へゆっくりと進んでいく。
映像の波とグリッドが二重写しとなる。さがはオブジェの後方へ回り込む。tonguingを深くし、絞るような声を発する。波と影のCGが、モノクロームの世界の中で蠢く。さがはボリュームを抑え、休符を挟みながら発音を繰り返す。
映像は、水の中で泳ぐ金魚のカラー実写に転換する。右前角に座り続けるさがは、大きく明確な声を生み出す。Meredith Jane Monkを思い起こすほど、極めて西洋的な発音だ。映像がモノクロームの波の実写になると、さがは正に歌うように発音を続ける。
映像に銀座四丁目の交差点が表れる。上部には波が流れている。途端、映像は逆回転される。そして、正回転に戻る。さがの歌から、平均律が発見される以前のGiovanni Pierluigi da Palestrinaなどを思い起こす。
映像はヒグマの顔の写真、ヒグマの影、顔のないダンスと速やかに展開する。さがは冷たい旋律から暖かい音階へ、まるで万華鏡のように自然と移行していく。波の実写をバックに、強い発音を繰り返す。
音階は民族的な様相を呈す。オブジェの下部に、赤いライトが投じられる。さがは中央へ進み、座り込む。映像は点が線となり、線が面となるCGへ転換する。さがはscreamingを交えたリズミックな発音を繰り返す。
ヒグマは映像をライブに切り替える。さがはリズムの速度を増していく。オブジェの上部を赤いライトが照らす。息づくような声が聴こえる。モノクロの波のCGが投じられる。さがは、ロングトーンと沈黙を交差させる。
映像は、黒い画面に拡散しては伸縮する白いグリッドのCGとなる。さがの歌声は、まるでArnold Schonbergの《Pierrot lunaire》のように自由に展開する。映像は波の実写と中央に赤い線、上部に白い線が重なる。
さがはうつ伏せになりながらも歌い続ける。太陽のコロナが拡大されていくようなCG、赤い水滴が飛び散るようなCGと、映像は素早く変換していく。さがは、歌う速度を上げ、沈黙する。
波の映像は、解体するようなイメージを見る者に与える。さがは呼吸音を持続する。赤いライトがオブジェを照らす。さがは噛み締めるような、踏み締めるような声を発する。カラーのダリの時計と、モノクロの波の映像が重なる。
時計の一部が浮遊し、波の合間を漂う。ストップウォッチが浮かび上がる。そして、逆回しとなって元に戻る。ヒグマは、モノクロのライブ映像に切り替える。さがは立ち上がり、強いトーンを発しながらオブジェの背後へ回り込む。
そして右側の窪みへ、歌いながら向かう。ヒグマは映像を切る。点滅するライトがオブジェを照らす。ライトが潰える時、一時間の公演は終了する。
さがの歌声は極めて現代的である。Jazz的なscatをモチーフとしながらも、多様に展開する発音には、深い知性が隠されている。絶え間ない運動体としての発音は、楽譜として起こせば長大なスケールの物語=叙事詩にまで達するであろう。
ヒグマの映像に表れた逆回転が印象的だ。津波の時を戻すことは出来ない。逆回転しているように見えてもその時間は現在の時間として通過し、未来へ進んでいくのだ。震災に対するオマージュでありながらも、未来を見据えるヒグマがそこにいた。
オブジェは卑近な素材で構成されていても、その巨大さ故に不気味な威圧感を放つ。照明によって表情が変化する。ヒグマがライブ映像としてカメラでとらえなかったり、オブジェに敢えて映像を投じなかったりしたことによって、その存在感は増したのだった。
持続する発音と逆回転する映像、不動なオブジェが創り上げた空間と時間帯は、過去を封印し、未来だけに向かっていくものでは決してない。現在という瞬間そのものを、見る者の心に刻印したのであった。この瞬間が連なり、私達は現在を生き延びていくのだ。
照明:早川誠司
撮影:坂田洋一