ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.40

Visual Paradigm shif Vol.40 of Haruo Higum

揺らめく光の道

2012年6月20日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:インストゥルメンタル・トリオ-蝦馬(EBIUMA)

映像パラダイムシフトVol.40より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

人型のように刳り貫いたアルミが80体は連なるオブジェは、舞台左前に天井から床にかけて吊るされている。蝦馬の本間敏之は、舞台左にエレクトリックピアノを構えている。中央には、阿部史彦がシンプルなエレクトリックドラムを備え付けている。ベースの小池太郎は右奥でベースを携えている。ヒグマ春夫は客席前方右に腰を据え、プロジェクターを後方壁面に向ける。
蝦馬の演奏が始まる。その曲はプログレッシヴロックというよりも、叙情的でメロディアスな展開を聴かせる。ヒグマは後方壁面上部に柔らかい色彩のCGを次々と投影していく。それは円、波、動作という象徴性が強調されている。
オブジェは固定されることなく、空気の微細な振動によって微かな動作を行っている。オブジェに光が投じられると床に揺らめく光の道が形成され、その上にオブジェの陰が重なっていく。
蝦馬はプログラミングと聞き違える程のテクニックを持ち、正確な演奏の中にも密かな感情を潜めていく。後方壁面のCG映像には様々な容のグリッドが飛び交い、何時しかグリッドは樹木の枝の影のようなまとまりを見せていく。
A・モーツァルトの《トルコ行進曲》が変奏されていく。雨が降りしきる映像は靄のようなCGへ変化し、グリッドもまた変化を続けている。演奏はブレイクし、本間は片手でE・ピアノの和音を形成しながら、片手をE・ギターに持ち替える。
ヒグマは認識出来ないCGを、後方壁面一杯に投影する。サイケ調の色面に転換し、オブジェに当たる光はミラーボールのように拡散する。蝦馬の曲は電子でありながらもB・デュランからイーグルスへ展開した「歌」のメロディを強く発音する。
映像はモノクロの波線、波の実写、加工された室内の写真と目まぐるしく展開する。《君が代》をアレンジしたピアノ曲が和的響きへ連動する。画面に回転する球体のCGが現れ、影、靄、点滅というモノクロームの世界が広がる。
本間がハミングを入れていく。それはまるで、一時期のパット・メセニー・グループのような広陵の風景を想起させる。演奏は和からバラード、ロックンロールとなだらかに転換する。映像は蒼いイメージから赤、紫、緑、青と色彩が立ち上がっていく。
曲が終わり、映像を止めて、本間がMCを入れ、《カンバセーション》《マリオネット》《洛陽》《酔狂》《青の海》と曲名を紹介し、再び演奏を始める。スローバラードが流れる中、海の実写、ダンスの足元、都市、波、CGが重なっていく。
E・ピアノによるストリングスの持続音をバックに、ベースのソロが演奏される。CGはダリの時計と波が重なり、ストップウォッチが浮かび上がる。《月の砂漠》をモチーフとした演奏は、AOR、フュージョン、トット・ラングレンズユートピア、TOTOと言った80年代的アレンジを今日に呼び起こしている。
バラードの演奏は、グルーヴを重視するソウルよりもASIA、ジャコ・パストリアス、ビートルズと言った西欧メロディの傑作を意識しているような感触を受ける。ギターのリフ、ドラムのロール、ベースのスティック的タッピング等、ロックの根底に流れるスピリットを表している。

映像パラダイムシフトVol.40より

CGは血脈が渦巻くような赤い世界から、フラクタルが持続する青い世界へ移行する。金魚の実写、吉本義人オブジェの写真など、記憶を喚起する映像が演奏を助長する。色面のCGの変化こそに、日々の移り変わりを感じさせるのだ。
《ジパング》という曲名のロックンロールは、飛翔するイメージを聴く者に与える。ヒグマの映像は静的な世界観から、動的な空間性を強調する。モノクロの波の動画が流れると、公演は終了する。
響き渡るアンコールに蝦馬とヒグマは応える。《ソーラン節》をモチーフとして、演奏は様々に展開していく。オブジェの乱反射が映像のように見えてくる。後方壁面の映像は樹木の写真である。緑が眩しい。写真は動き出し、CGと化す。
CGの球体が舞い、青い水面もまたCGである。演奏は各人のソロへ移行する。バッハ《フーガの技法》からローリング・ストーンズ《黒く塗れ!》まで、自由に、闊達に、たっぷりと演奏が繰り広げられ、75分の公演は終焉する。
ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトで、はじめてMCが入り、一貫した演奏ではなく曲として構成されブレイクが施された。そのような特殊な状態にありながらも、映像は決して演奏のバックグラウンドでもなく、映像は決して演奏を援用するのでもなく、PVという商品に陥ることもなく、対等の時空の構築が為されたのは、オブジェの存在も利いていたのであろう。
映像、音楽、共に時間と共に消えてしまう。オブジェのみが、総てを背負いながらも静かに沈黙する。この沈黙にこそ、時空が再び立ち現れてくる。この時空を形成したのが、ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトの在り方なのだ。ポピュラーもアンダーグラウンドも関係がない。「いま、ここ」に在るという主張と存在を明らかにするのが、この企画の在り方であることを再認識した瞬間であった。

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一