ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.45

Visual Paradigm shif Vol.45 of Haruo Higum

モノクロの建物の写真へと緩やかに変化する

2012年11月26日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:坂本美蘭

映像パラダイムシフトVol.45より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台中央の台の上に大正琴が置かれ、タンバリン、カリンバなどのパーカッションとエフェクターが配置されている。傍らには白い半透明の布が置かれている。台の頭上にはプロジェクターが下を向き、その間に直径80cmほどの円形の紗幕が水平に吊るされている。客席は中央を囲むように設置されている。即ち、中心がない公演が予想される。
坂本美蘭が白いキャミソールを身にまとい、布に蹲ることによって開演する。暗転と共にヒグマ春夫は映像を投影する。ピンク、緑、黄といったサイケデリックな色面CGから、モノクロの建物の写真へと緩やかに変化する。坂本は、羽織った布を前で結んでマントとする。写真かCGか認識出来ない太陽のコロナの画像が投影される。三種類、総て静止画だ。
坂本は台の前に正座する。建物のモノクロ写真が四枚ほど高速スライドしては止まる。坂本はディストーションの利いた大正琴をドローンとし、右手で軽く叩くタンバリンをアタックとして唄を始める。歌詞の内容は明白ではないが、一定の間合いに迫力がある。月と線路の静止画が美しい。
黒の背景に白い円柱に見える集合体の静止画CGから、試験管のような青い筒の中で動く白い線の動画が投影される。実体かCGか、不明である。何時しか色が反転し、白の中で青い線が蠢く。再び青の中の白い線となり、宇宙空間のように錯覚する。坂本は大正琴とタンバリンに、カリンバを加える。囚われない自由さがここに存在する。
水平な照明が、上部から青いライトへ変化する。美術館でのWSの実写に、満ちる水を加工した動画が流れる。坂本は演奏を一度止め、リズムボックスを不確定な拍子で稼動させ、右手で大正琴を弓弾きしながら唄うと、録音された坂本の声も場内に響き渡る。スピーカーと実声が一体と化している。
坂本は立ち上がり、カリンバを演奏しながら場内を彷徨う。頼りない足取りが特徴となる。ヒグマは赤と青が点滅する映像を投影する。黄が混じり、はじめのサイケデリックな色面が動いていることになる。紗幕に赤いライトも投影され、単色であるにも関わらず、映像は複雑な様相を呈する。
坂本は舞台へ戻り、大正琴の弓弾きを再び始める。モノクロ風景写真の高速スライドから、モノクロの太陽のコロナ、衣服の高速スライドと映像の展開が目まぐるしくなる。黒の背景に白い円柱に見える集合体の内部が高速に動作する。坂本の演奏は続き、リズムボックスに全く違和感が発生しない。
雲の中の月と線路の実写動画が二重に投影される。坂本の左手は弓で大正琴を奏で、右手で缶を叩いていたかと思うとすかさずピックで大正琴の弦を掻き毟る。タンバリンを、間合いを充分に利かせて叩く。衣服のカラー写真がスライドする。坂本は三度、唄い始める。衣服のスライドは高速でもあり、沈黙もする。ここには生成がないのだ。

映像パラダイムシフトVol.45より

静止画のコロナは動き始める。二重になり、横からの視点、一本の線、元に戻ると果てのない展開を繰り返す。坂本はディストーションを利かせる。サイケデリックな色面、衣服のスライド、青と白の試験管的映像と著しく変化する。坂本はエフェクトを更にきつくし、ハウリングに至って落とす。
坂本は再びリズムボックスを鳴らし、エフェクトしたカリンバを交え、立ち上がり再び彷徨う。録音された坂本の声が響く。衣服のスライド、試験管的映像、青と赤の点滅と映像は変化する。坂本はペットボトルのパーカッションを鳴らす。プロジェクターから発せられる赤い映像と照明の青いライトが混じり、坂本の影は青となる。
坂本は戻り、座る。モノクロの建物の写真が投影される。強烈な水平軸の照明が坂本を照らす。坂本の右手はペットボトルのパーカッション、左手はバチでタンバリンと缶を叩く。ヒグマが映像を止め、45分の公演は終了する。
ヒグマはライブで、映像の投影を操作していた。はじめに投影した静止画がその後動き出すという予告効果があったことが、余計中心の喪失に繋がっていた。ヒグマの映像はCGか実写か不明で曖昧なものが多い。それは、どちらでも良いのである。重要なのは判別や認識ではなく、映像が面白いかつまらないかということだ。
また、床面が木の為、映像は鮮明に映らない。それは鮮明に映っている紗幕と対比されるのではなく、異なる要素に転じている。揺れる紗幕が差異を強める。ヒグマは奇を衒ったのではない。映像が持つ本来の特性を、最大限に引き出したのだ。
坂本の演奏に面でもマッスでもない。連続でも断片でもない。消尽と復活があるのでもない。唄は能に近くとも異なる。坂本は今回使用した曲の詩を、当日配布した。そこには四つの詩が明記されていた。坂本を定義する術はない。というよりも、坂本には何者にも定義され得ない活動を繰り広げて欲しい。そこに性別だけではなく、芸術をトランスする力が秘められているのだ。

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一