ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.47

Visual Paradigm shif Vol.47 of Haruo Higum

暗い深海を上下に泳ぐ五匹ほどの原始生物

2013年1月28日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
solo・ヒグマ春夫

映像パラダイムシフトVol.47より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台中央に、直径2m程の半月が四つ組み合わされたフォルムのオブジェを新聞紙が包む。新聞紙はオブジェを超えて、床一面に広がっていく。
足音のような電子音が響き渡り、ヒグマは客席前に設置されたプロジェクターを開くと、オブジェに映像が投影される。同じ映像が後方壁面上部にも投じられる。上下に重なる映像は同一であってもオブジェ、ホールの黒い壁面と、異なる媒体に投じられるため全く異なる様相を呈す。
映し出されているのは、ほの暗い深海を上下に泳ぐ五匹ほどの原始生物のようなCGである。滑車が回るような音が流れると、ヒグマは黒地に白と赤で形成された海星か仙人掌のような動画CGへ変化させ、上の映像をライブに切り替える。
ヒグマは赤外線カメラで床を撮影しながら、右奥から時計と反対にオブジェを回る。波の音に変化する。早川誠司による照明がオブジェを照らす。ヒグマは新聞の文字を明確には映し出さない。しかし、見出しから近日中の新聞であることは理解できる。
照明が落ちる。上のライブ映像、下の海星的CG動画は続く。特に下のCGは、新聞の色を採り込んで複雑に動いているように見える。固定されている支持体が映像によって動いているように感じるのだ。
ヒグマの赤外線カメラは客席、天井をとらえる。エンジンのような機械音が響き渡る。ヒグマは赤外線カメラでオブ ジェを擦り、再度床を撮影し続ける。床の新聞紙の中に左手を入れ、底を映すと新聞紙をゆっくり引き上げ、翳して右手の赤外線カメラで映す。この行為をヒグ マは繰り返す。
それなのに後方壁面上部に映されているライブ映像は、ヒグマの視線となっていない。 それどころか眩暈を起こす。赤外線カメラは、冷徹に事象をとらえ、映し出していく。すると、人間の視線は如何に都合のいいものだけを残し、本能が壊れない ように防御しているのかを思い知らされる。
雑踏音にアジアの声が混じり、飛行機のジェット音が追加される。ヒグマはオブジェの裏に回る。ヒグマは床の新聞を破っていることが音から理解できる。ヒグマは新聞紙を扱う速度を上げる。照明が舞台を隈なく照らす。
ヒグマは一枚の新聞紙をプロジェクターに翳し、落とすと赤外線カメラをプロジェクターの入口に向ける。「いま、ここ」が進展すると共に逆行し、失われていく。
警告音と波の音が響き渡る中、ヒグマはオブジェの新聞紙を破いていく。後方壁面上部には、赤外線カメラの無垢な視線が映し出される。新聞に包まれていたのはレディメイドの蚊帳であった。
透過性のある蚊帳は舞台に乗ることによってオブジェと化す。海星若しくは仙人掌の動画CGは、オブジェを通過して後方壁面に投影される。しかし映像はオブジェを通過する際に、明らかに異なる次元に導かれていく。それは新聞を破く、という行為を内在化したのかも知れない。

映像パラダイムシフトVol.47より

後方壁面下部の海星若しくは仙人掌の動画CGはヒグマの影といった実体に遮られ、上部の赤外線カメラによる剥き 出しの視線という虚構は、互いに入れ違う。実体が虚構と化し、虚構が実体として認知される。この逆転によって、我々が幻覚されることはない。なぜならこれ が現実の舞台であるからだ。
新聞紙が除かれ、オブジェの総てが顕わとなる。下の映像は、CGによる黒地に染色体のような白い線の集積が蠢く。ヒグマは床の新聞紙を総て左右の端に寄せる。パトカーのサイレン音が鳴り響き、下のCGは当初の原始生命体的CGへと変化する。
永井朋生によるテンポの良い電子音楽が流れると、ヒグマはオブジェの中へ入る。仰向けとなり動かない。天井のライトが点滅し、太陽のように総てを照らすと夕焼けのように沈んでいく。
音が止まり、再び永井による木琴にように柔らかく聴こえるミニマルな電子音が鳴る。照明は星のように瞬く。ヒグマは仰向けのまま両手を広げ、縁を掴み、オブジェを自在に変形させる。
下部に投影される白いグリッドの動画CGは矩形を形作っては増殖し、波状に変化しては離散する。ヒグマは行為を続ける。下部のCGの底辺に赤い線が発生しては消え失せる。橙の照明が、立ち上がって続けるヒグマを照らす。
ヒグマはオブジェを背負って前に進み、プロジェクターを落とすと上のプロジェクターも消える。闇の中に音が吸い込まれ、45分の公演は終了する。
終演後、ヒグマはオブジェが仮設住宅を、新聞の使用は文字が入ったメディアが失われた世界をイメージしたと話 す。震災は復興に向かうのではなく、世界が終焉する世界を予感させる。一つの現象は、想像できない未知の地点にまで我々を誘う。その道標を行うのが、芸術 の役割ではないだろうか。
隠されているものを掘り起こし探すのではなく、自明のものを見詰め認識すること。それは目を閉じた瞑想であると解釈してもいいのかも知れない。見えることと見ることに、視覚的要素は関わりを持たないからだ。

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一