ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.49

Visual Paradigm shif Vol.49 of Haruo Higum

震える肩を後方へ回しながら中央で上半身を折る

2013年5月20日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト: 奥野美和/Miwa Okuno(ダンサー・振付家)藤代洋平/Yohey Fujishiro(音楽家・異物制作者)

映像パラダイムシフトVol.49より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

幅3mはあろうかビニール幕が天井から床にかけて客席と舞台の間に横断することによって、見る者は奥を窺うことができない。舞台両脇から僅かな光が零れると暗転し、公演が始まる。
藤代洋平による、噛み砕くようなノイズが空間に広がっていく。幕=膜に上から赤いライトが投じられる。膜の背後に奥野美和の気配が感じられる。逆光のライトが投じられ、奥野の影が大きく膜に立ち現れる。
ノイズは緩やかな波となって、場内を隈なく循環する。奥野は片足を引き上げる。まるで水の中の出来事に感じる。警告音が繰り返されるように聴こえる。奥野が痙攣すると、ビニールが擦れる音が発生する。
赤いライトが再び膜に投じられる。膜と同様のビニールのワンピースを纏った奥野が前に出てくる。膜下部に、ヒグマ春夫による奥野のライブ映像が投影される。奥野は足を引き上げ、震える肩を後方へ回しながら中央で上半身を折る。
爆発音が反復する。膜の上部には奥野の形に基づいたCGが緩やかに蠢く。CGは横たわり、奥野という実体は垂直でありながらも、同じ形である。下部のライブ映像がこの現象を更に複雑化する。
奥野はビニールが重なっている箇所に右手を差し込む。機械的な反復音が鳴ると、上部のCGが消えては現れる。奥野は膜の合間を進み、自らが映し出されている映像を叩く。奥野と映像と影という三体が揺らめいている。それは、舞うという言葉に相応しい。
奥野は床を伝い、仰向けで手足の先を揺るがせる。上部のCGの変化する速度が増す。奥野とCGは、同一の振付を見せている。衣装がスクリーンとの一体化を強調するため、個々の存在が明確となる。
ヒグマは上部を下部と異なる角度からのライブに切り替える。膜の裏側へ周った奥野は舞台右側の床を伝う。ヒグマは上部をCGへ切り替える。奥野は小型カメラの前で指を振る。スクリーンに赤いライトが三度投じられる。
通低音のような電子音が回り続ける。奥野の肩が壁を上がっていく。フィギアが記憶され、記憶されたフィギアが解体される。奥野は素早く床を巡り、膜を潜り抜けていく。最早、膜が奥野なのか、奥野が映像なのか区別がつかなくなる。
ストロボが点滅し、音は黙示録的に反復し、膜の上下にはライブ映像が投影され、奥野は速度を上げる。舞台右側に立つ奥野は脚を上下させる。ヒグマは上部をCGに切り替え、藤代は鐘を互いにぶつけて生の音を発生させ、その音をマイクで拾って加工する。
奥野は自己を確認するように右側の膜を左奥へ誘い、自らは仰向けとなると膜は拉げる。奥野は床を展開する。拉げた映像とエフェクトされた音が刻々と進む。腰を床に付けた奥野の踊りが立ち昇っていく。
藤代は和音を反復させる。ヒグマが上部をライブに切り替えると、揺れるビニールが映し出される。そこには奥野と藤代がいる。そしてヒグマも。奥野は旋回しながら大きく揺らぐ。
藤代には沈黙が欲しかった。しかし、二人にそうさせるヒグマの映像があったことに深い意義が存在するのだ。

映像パラダイムシフトVol.49より

藤代は金属的打撃音を連鎖させる。ヒグマは上部をCGへ切り替えると、藤代はすかさず風が抜けていくような反復音に切り替える。逆光のライトが強く膜を照らす。奥野は膜に息を吹き掛け続け、指を入れて破いていく。
藤代は蕩けていくような音色を聴かせる。奥野は破いた膜を自らに巻き付け直ぐに離別し、地下を潜るようなダンスを見せ、床に付くと仰向けで両手を天空に差し伸べる。打撃音が響き渡る。
奥野は爪先で立ち上がって膝を付き、掌が希求を続ける。雷鳴の轟が鳴り響く。映像が閉じられていく。奥野が闇を潜り抜けると暗転し、電子音のみが残される。52分の現象であった。
それでも奥野は決して膜=スクリーンと一体になることはなかった。アフタートークでヒグマが膜は養生シートであることを明かす。そして、今回は即興に拘ったことを述べる。奥野は公演当日に映像とインスタレーションを見て、予め計算していた内容と即興の境目の難しさを感じながら公演に臨んだと話す。藤代はやりたいようにやれたと語った。
予め映像のみは見ていたとは云え、今回ほど奥野にとっては試練であっただろう。客席側の膜によって踊る空間は限られ、自らの振付の映像は頭上遥か彼方に存在し、目線にはライブ映像しかない。この極限状態の中で、奥野が自らの不可能を晒し、不可能であったからこそ、不可避で得がたい公演が可能となったのであった。
完璧とも先鋭的ともいえる奥野のダンスの欠点が浮彫となった。それは、背中が歌っていないのである。それは彫刻ではなく、透視図のデッサンのままであると喩えることができる。しかし、この「欠点」はこの公演だからこそ見えたのかも知れないし、それがそのまま奥野の課題として、奥野は直ぐに解決してしまうことであろう。私が伝えたいのは、奥野がこの姿を晒してまでもヒグマの映像に立ち向かった勇気なのである。

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一