ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.5

Visual Paradigm shif Vol.5 of Haruo Higum

「虫眼鏡で覗いた映像」空気をけずる

2008年10月28日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
solo・ヒグマ春夫

映像パラダイムシフトVol.5より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

客席に向けて、天井から床まで紗幕が二枚、手前と奥に重なって展開している。その間には水が張られた透明なボールとそれを支える台、デジタルカメラ、大きなルーペが置かれている。複数の照明により、紗幕に水泡のような文様が浮び上がる。
奥のプロジェクターが稼動し、奥の紗幕下部には小さく、手前のそれには大きく、漣の動画がモノトーンで投影される。紗幕の間には上部から薄らとライトが当たる。漣に街並と球体の動画が重なる。紗幕上部には客席後ろにある別のプロジェクターから、ヒグマの足のライブ映像が投影される。客席からも直接、ヒグマの左親指の動きを確認することができる。
山の中に居るような音が聴こえてくる。ヒグマは小型カメラを手に持ち、吊り下げる。魚眼レンズは床に映るヒグマとカメラ自身の翳を捕える。ヒグマが二枚の紗幕の間に入り込むと、カメラの翳は実像として手前の紗幕にも浮かび上がる。即ち見る者は、横と下の映像を同時に認識することになる。
宇宙空間を迅速に移動するイメージ、惑星が高速で回転するイメージ、幾何学的グリッドの消滅と発生をイメージするカラー映像が流れる。ヒグマは右手でルーペを掴み、手前紗幕の内側にそれをあて、レンズの中の様子を小型カメラによって映し出す。カラフルな矩形がスピード感を持って移動する映像に切り替わる。
ヒグマはルーペをボールの中の水に触れさせ、その文様を小型カメラが紗幕に映し出す。下の映像は、モノトーンの波の映像に戻る。ルーペはそのままに、小型カメラをボールの下に固定する。紗幕の下の映像は、ヒグマを上部から俯瞰的にとらえる映像に切り替わる。
ヒグマはしゃがみ込み、ルーペを用いて水の中を覗く。その仕草は、紗幕上部では下からのライブ映像、下部では俯瞰的なライブ映像として映し出され、尚且つヒグマの実体と翳を横から見ていることになる。
これは「映像」のみでは不可能であり、ライブでなければならない。即ち「パフォーマンス」ということになる。
ヒグマはルーペを置き、床に両手をつけてボールに顔を近づけて水中に唇を入れ、息を吹き込む。泡の発生を見ると、小型カメラの映像にはタイムラグがあることが分かる。
ボールを台ごと横にずらし、固定された小型カメラの上で上体を屈め、膝を伸ばしたまま左腕を背中から掲げる。上下の映像、ヒグマの実体と翳が交錯し、立体的な様相を呈す。人間の形はこうも面白く不可思議なものなのかと実感する。
そのまま上体を起しては沈め、両手を垂らし、体を左右に揺さぶる。紗幕上部にはヒグマの顔、下部には全身の動作が映し出される。上部の映像は仕草の速度を処理しきれず輪郭を失い、下部のリアルタイムに見える映像と対比を為すことで、ライブと映像は決してイコールではないことが理解できる。
ヒグマは膝を折り、肘を僅かに挙げたまま少しずつ上体を起し、肘をそのまま両手と視線を上に向け、踵を挙げる。下の紗幕に投影された全身を伸ばし切っているヒグマの顔が、実体の腰の辺りの翳と重なり合い、人体の見え方がここでも眼を引く。
ヒグマはボールを外し、それを支えていた台に食品用ラップフィルムを広げ、そこにマジックで眉、眼、鼻、口の簡単な絵を描き、自らの顔にそのフィルムをあてる。そのままフィルムを切らずに左足全体に巻き付け、仰向けで腰をつき、今度は右足に巻いていく。右手でフィルムの端を引くと、頭部の後ろにフィルムが続いているため連動して首が上がっていく。
膝を曲げ、腰と足裏を床につけたヒグマは、小型カメラを覗き込む。ゆっくりと腰を上げ、膝を伸ばして立ち上がり、右足裏を小型カメラに翳す。左足一本で立ち、体を横に流してバランスをとる。紗幕下部の映像は、ヒグマが横になっているようにみえる。
再び小型カメラを覗き、手にとり、顔を映した状態のまま体を起し、紗幕の間から抜ける。紗幕上部は顔を映し、下部は誰も居なくなった空間をとらえている。ヒグマは何処へ行ったのだろう。
紗幕下部の映像は、多彩の矩形の動画となる。ヒグマは再び紗幕の間に登場し、デジタルカメラのモニターに映る紗幕を小型カメラで映す。音が止み、暗転し、50分の公演は終了する。

映像パラダイムシフトVol.5より

今回の公演では、写真を一切使わず、動画のみの「投射」となった。そこから速度と時間の関連性と可能性という問いが生れる。見ることと認識することの違い、明確に見えることと曖昧に見えることの違い。紗幕の間で「作業」するヒグマではなく、「動作」し、翳と共に映像の中に溶け込むその姿。異なる角度からの撮影。映像と実体のタイムラグ。人体の形と思想。様々な要素を多様に含んだ公演は、「映像とは何か」という問いを飛び越えて、「パフォーマンスとは何か」「芸術とは何か」「見ることとは?」「文化とは何か」といった問題提起までをも我々に導いてくれる。

照明:坂本明浩
撮影:川上直行