ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.52

Visual Paradigm shif Vol.52 of Haruo Higum

赤外線カメラのモノクロの映像

2013年8月9日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト: 中島彰宏 (演劇)

映像パラダイムシフトVol.52より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台左奥と右手前に設置したプロジェクターは、向き合っている。その対角線に対して直角に寒冷紗を素材とした幅2mほどのスクリーンが2枚、天井から床に延びている。スクリーンの狭間の左右に、纏められたスクリーンが置かれている。扉付近に椅子と机が用意されており、机にはコントローラが載せられている。
客電そのまま、中島が入り、ヒグマが手前のプロジェクターを開け、椅子に座ると公演が始まる。中島は軽く場内を走り回り、奥のプロジェクターの蓋を開ける。両プロジェクターには会場のライブ映像が加工されず、ストレートに流れていく。左手前に赤外線カメラ、手前スクリーン足元と後方壁面中央下に、小型カメラが設置されている。
手前のプロジェクターからは赤外線カメラのモノクロの映像が、奥のプロジェクターからは足元の二台のカメラからのカラー映像がスクリーンに投じられる。手前のスクリーンにはモノクロ映像が鮮明にカラー映像は大きくぼんやり、奥のスクリーンには鮮明だが小さなカラー映像と大きく後方壁面にまで到達するモノクロの映像が投じられる。
徐々に客電が落ち、スクリーンの狭間の床に矩形のライトが広がる。中島は縄跳びをしたり、床を泳いだり、大きく手を振りかざしながら中央で行為を行う。床での動きは鮮明にカメラがとらえ、スクリーンに投影する。中島が左壁面にいると、赤外線カメラは中島の足元をとらえ、カラーカメラに中島は不在となる。
中島は「グラッツェ」と笑顔で発音を繰り返し、左側の纏まったスクリーンを体にまとい、床を暴れる。ヒグマは二台のカラーカメラによって中島を追うことなく、恣意的に、無機質に映像を切り替えていく。中島は身に纏ったスクリーンを頭に被り歩んでいくかと思うとスクリーンを捨て、奥のカラーカメラの前で腕立て伏せをする。
中島は「チャンピオン・オブ・ザ・ワールド」と声をあげ、スクリーンの前に立ち、左手を横で揺るがせる。中央に移動し、体をしゃくり上げ、幾度となく歩き回っては床を這い蹲る。ヒグマのカメラワークは視座を変える、というよりも、正に発想を転換していくパラダイムシフトそのものである。
中島は右に纏められたスクリーンに手を伸ばし、左手前に移動してスクリーンを辿る。纏めたスクリーンを中央に置き、暫く佇む。映像は加工されていない。音もない。全て、予め用意されていない即興の、正にライブである。ヒグマの機材は中島の肉体と同様である。開始から20分後、青いライトが天井から床に零れる。
ライブであればあるほどに、ライブの感触が失われていく。青いライトに赤いライトが混じっていく。現実とは何だろう。ヒグマは赤外線カメラを四台目である手持ちのカラーカメラに切り替えると、突然、映像が生々しいものに感じられる。中島は奇怪に右手を振りながら歩み、床を転がり、スクリーンと戯れる。

映像パラダイムシフトVol.52より

中島の素早い動きに、無数の影の残像が呼び覚まされていく。中島は赤いライトのみに照らされて、中央で跳ぶ。素早いカメラの切り替え、中島の執拗な繰り返しは、立ち会う者の記憶を混乱させる。すると記憶など必要ないことが理解されていく。いま、ここで行われていることに、真直ぐ向き合うことが重要なのだ。
舞台右奥に恐らくラジカセがあるのだろう、ロックが聴こえてくる。青と緑のライトが静かに会場を照らす。足元のカラー映像が転換するということは、奥と手前が逆転することを意味するのだ。モノクロの赤外線カメラと手持ちのカラーカメラが更に混乱に導く。中島が手前、右にいると、どのカメラも中島をとらえることができない。できなくていいのだ。
ロックが止まり、中島はスクリーンの狭間でスクリーンを見詰める。ヒグマは赤外線を手持ちのカラーカメラに切り替える。中島は意味の無い言葉を発しながら舞台を巡る。中島は肉体や行為を見せるのではない、残像でもない、消耗でもない、無意味でもない。中島その人の存在、剥き出しの生きている姿そのままなのだ。
中島は肩を軸に、爪先を垂直に天井へ向ける。床にあるスクリーンで頭を包み、床を転がる。「転がる」は正確ではない。転がってもいない。寝返りでもない。何とも形容できないのだ。中島は手持ちのカセットレコーダを何時の間にか手前左に移動し「雨に唄えば」を流し、中央で縄跳びを繰り返す。
ヒグマは赤外線カメラに切り替え、スクリーンをとらえて映像にフィードバックを与えて動かさない。ヒグマは奥の映像を切り、爪先で歩む中島の、薄暗い光の中の爪先をとらえ、投影する。ヒグマがカメラを床に置き、静かに手前のプロジェクターを閉じる。中島は不可思議なフォルムを編み出す。55分の公演であった。
纏められているどころか、広げても映像が投影されないスクリーンが舞台に存在することにも注目したい。リアルな映像ほど現実が喪失する。喪失する芸術だからこそ、芸術が現実となる瞬間でもあるのだ。

照明:早川誠司
撮影:Bozzo