ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.55

Visual Paradigm shif Vol.55 of Haruo Higum

川に泳ぐ鳥の映像

2013年12月13日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
sol・ヒグマ春夫

映像パラダイムシフトVol.55より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

50cm程の白い折鶴が10羽、舞台に置かれている。客席前方左右にプロジェクターが設置されている。ヒグマが後方壁面一杯に映像を投影し、公演が始まる。タイトルロールが流れ、車内から撮影された高速移動するモノクロ風景、そして踏み切りとカーブミラーのカラー実写へ、カーブミラーの内部には川に泳ぐ鳥の映像が流れている。
良く見ると映像は変化していくのではなく、重ねられていることに気がつく。それでも映像は船から陸をとらえた実写、建築物のクローズアップへと、刻々と変化を続ける。ヒグマがもう一つのプロジェクターを開くと、舞台右側の凹みに青い層が広がる。後方壁面には高速移動するモノクロ風景に、変形した魚が垂直に立つイメージが流れていく。
後方壁面は車内の窓を横切る波線のCGとなり、右側の映像は横の波線のCGとなる。共に黒地に白い線である。右側の映像が波の実写に見えてくる。後方壁面の映像は鞭毛の生えた原始生命体的CGが黒地に三匹蠢く。ヒグマが右側の映像を閉じると、折鶴に薄らとライトが当たる。様々な電子音が、公演開始時から流れている。
後方壁面の映像は高速移動するモノクロ風景に、日本の風景が二重映しとなる。ヒグマは右側の映像を開き、赤と青にエフェクトされた景色を投影する。天井から床へ赤いライトが投じられる。ヒグマは右側を照らすプロジェクターを半開きにし、映像としては想像力を、光としては位置という変化を見る者に与える。
後方壁面の映像に「秘密保護法権利どうなる」という新聞の見出しがゆっくりと流れ、右側の映像はモザイク、若しくは水泡上のCGとなる。後方壁面の映像は認識できないモノクロ写真から高速移動するモノクロ風景へスライドし、窓のフレーム内に緩急をつけて動く釘の実写アニメーションが二重映しとなる。
右側の映像は、水面に光が点滅するようなCGである。後方壁面の映像は、フレーム内にムンクの《叫び》のフォルムが切り取られ、その中で湧き出る液体のようなCGが揺らめく。叫び声のような打撃音が響き渡る。後方壁面は高速移動するモノクロ風景に変形した魚が流れ、電子音が振幅を繰り返す。
後方壁面には日本の車窓、頁が捲られるように場所が失われた建築物は反転し、CGが揺らめく映像が重なっては入れ替わる。右側の映像は氷の下で動く影のようなCGとなる。後方壁面はMacの写真からCGが靄にように湧き出る。この映像も頁が捲られるように反転し、その下に異国人の写真が映し出される。 緑のライトが折鶴を薄く照らす。後方壁面は波止場の写真が捲られ、黒地に鞭毛が生えた原始生命体的CGが上下する。高速移動する車内からのモノクロ風景と変形した魚が流れる映像に変わり、回転する球体のCGと波の実写が重なる。更に新聞の見出しが加わっていく。右側の映像はブランクする。

映像パラダイムシフトVol.55より

新聞の見出しは「シリア難民」「3.11を風化させない」「人物本位」などである。車内の後方から撮影された前進する映像に変わる。右側のカラー映像は珊瑚を俯瞰的に捉え、高速に移動する。車内の映像は逆回しされる。「空間狭まる」「薬ネット販売」「新興国」などの見出しが流れていく。
後方壁面は、再度フレームにムンクの《叫び》が切り取られ、その内側でCGが蠢く映像になる。打撃音が響き渡る。橙のライトが折鶴を照らす。右側の映像は、横に流れていく光に見える。それは何時しかカラーの実写映像に変化するのだが、何が映し出されているのか認識できない。
日本の車内の映像と、高速移動する車内からのモノクロ風景が後方壁面に重なる。ヒグマは右側の映像を閉じる。後方壁面の映像が止み、タイトルバックが流れる。そこには2008年からスタートした映像パラダイムシフトがこれからも続くことが記されていた。50分の公演であった。
今回の公演はゲストがいなく、ヒグマ自身も舞台に登場せず、音をライブで変化させていたとしても、映像のみが舞台を支配していた。車内からの映像などオリジナルがあってそれを加工したもの、オリジナルがなくイメージを具現化したCG、シュミラークルの世界観である球体のCGと波の実写など、映像として存在するあらゆる映像がここにあった。
それらヒグマの映像は極めて客観的だ。客観といっても主観を排除しているのではなく、主観と客観という定義すら当て嵌まらないのかも知れない。それは第一次世界大戦後に発生したダダ/構成主義のアーティストが神になるのではなく神が人類を創出した現場に「立ち会う」姿と同様なのである。
今回、ヒグマは政治的メッセージを発したように見えても、それは我々を取り巻く現実そのものの姿に他ならない。ヒグマは過去に制作した映像にすらも新しい命を吹き込み、これから向かうべき地点に対して、高らかに宣言を発したのであった。その決意こそ、今回の公演に他ならない。

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一