ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.61

Visual Paradigm shif Vol.61 of Haruo Higum

見ることとは何かを考える

2014年7月24日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:畦地亜耶加(ダンサー)

映像パラダイムシフトVol.61より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台に置かれた大型の盥に零れる水の音が響き渡る。畦地は懐中電灯を持って扉から入ってくる。後方壁面に立ち、上に向けて光を放ち、消す。前に出て、足先を照らしては消す。右の壁を照らし、消す。歩み、掌で光を塞ぐ。
右壁面に、認識できない動く映像が投影される。畦地の右手の懐中電灯は正面を照らし、左腕の肘は角度を形成する。右手は自身の首筋を照らす。畦地は右壁面を向き、映像を浴びながら大きく動いていく。
見下ろすライブ映像が、上から床中央に投影される。後方壁面一杯に、左のカメラからのライブ映像が投影される。畦地は懐中電灯を左のカメラに向ける。不明瞭な右壁面の映像は、現実を不可視にしていく。
ヒグマは後方壁面を、右奥にも仕掛けられていた小型カメラからのライブ映像に切り替える。ヒグマは、映像が映る後方壁面に設置した小型カメラからのライブ映像に素早く切り替える。無音が続き、見ることとは何かを考える。
畦地は伸ばした右腕を縮め、再び前に解き放つ。立位置を素早く変え、盥の前の床に背を付け、足を掲げる。手前にも小型カメラがあり、計四台のカメラは畦地の存在を隈なく捉え続ける。後方壁面の映像は四分割され、異なる角度からのライブ映像が投じられる。
畦地は膝を抱える体勢となり、起き上がって腰と足の裏を床につけたまま、膝を折って後方壁面から左へ移動する。畦地はこの体勢で更に額を床に付け、左から右へ移動する。右側面を下にして横たわり、掲げた左掌を振る。
後方壁面には、左のカメラが捉えたライブ映像が全面に投影される。畦地は両手を前に構え、左膝を立てて右脛を横たえる。立ち上がり、右手人差し指を立てて緩やかに円を描く。床中央と右壁面の映像は、左上からのライブ映像に切り替わる。
畦地は膝を深く曲げ、腰を引き、両手を脇に広げる。後方壁面は、右のカメラからのライブ映像に切り替わる。右の映像は不明瞭となる。畦地は盥の中に置かれた小さなアルミのコップを右手で持ち上げる。
コップを取り除くと、当然上からの水滴は盥に直接落ちるため、これまでよりも音程が低くなる。手持ちの小さなコップで水滴を受け止めると、音程は高くなる。この工程を畦地は繰り返す。
右壁面は左上から捉えたライブ映像に、後方壁面は左からのライブ映像に切り替わる。畦地は腰を落とす。後方壁面は後方壁面に設置した小型カメラからのライブに切り替わり、直ぐに左のカメラからのライブ映像に転換する。畦地は右から左へ床を滑っていく。
右壁面は上からのライブ映像となる。何時しか畦地は舞台右奥の縁に到達する。後方壁面は四分割の映像となるが、直ぐに全面、左からのライブ映像となる。立ち上がった畦地は大きく腕を廻らせる。後方壁面は右から、直ぐに左からのライブ映像に切り替わる。
畦地はメトロノームを稼動させる。80程度のテンポが場内に響き渡る。畦地は立位置を換えていく。後方壁面は右からのライブが投影される。畦地は滑るような、よろめくような移動を繰り返す。
ヒグマは左、右、上、後方と素早くライブ映像の視点を切り替える。畦地の体から、やっと本来の踊りが溢れ出て来る。床に矩形の光が落ちる。メトロノームが止まると、畦地は盥の前で佇む。ヒグマは全ての映像を閉じる。55分の公演であった。

映像パラダイムシフトVol.61より

アフタートークでヒグマは今回の公演の意図を語る。「監視カメラのシステムを持ち込んだ。使用したカメラは下が4台、上が1台である。プロジェクターは2台である。上から撮影した映像を照明として使用した。光と影の主題は二人で打ち合わせた」。
畦地は語る。「新鮮であった。映像を見てしまうと、公演の意図にそぐわない。自分のやることに没頭することを意識した。遊びながらやった。水が落ちるテンポがリハーサルよりも鈍かった」。
ヒグマは上からの映像は照明であるとの認識だから、当然、その映像はいつも照明を担当しているキッドの早川誠司が撮影した。照明を担当している早川は、ヒグマの意図に充分に応えていた。
畦地にとっては360°の逃げ道が存在しないため、過酷な公演であっただろう。しかしヒグマが仕掛けたインスタレーションを凌駕する自らのダンスを見せなければ、公演の意義がない。再演を期待する。
5台のカメラを駆使したヒグマのインスタレーションは、圧巻であった。我々は事物の一面しか認識することができない。月を見れば分かることだ。しかも視覚要素など、最も信頼できない感覚に属する。
カメラを持っていれば誰にでも出来そうな設置であっても、絶対にこのように上手くいかない。それは「撮影」する意識とカメラを切り替える「操作」を捨て去り、インスタレーションとして昇華させなければならないからだ。
この発想と三次元を二次元に転換する空間性は、ヒグマが持ち得る経験と想像力が為しえたのであった。インスタレーションが絵画に属する点については、別に考察する。そこには当然、身体も音楽も含まれる。

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一