椅子の座面に頭を転がしてから座面に腰掛ける
2014年10月29日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:鈴木優理子(ダンサー)
映像・ヒグマ春夫
照明・早川誠司
撮影:坂田洋一
報告:宮田徹也
(日本近代美術思想史研究)
後方壁面右側に赤いドレスが掛かり、中央に椅子が置かれるシンプルなインスタレーションが開演を待っている。鈴木優理子が扉から入り、椅子に座ると公演が始まる。小山田二郎のようなペインティング的CGが、後方壁面左側一杯に投影される。収縮を繰り返し、不可思議な風景を生み出す。
人の声と電子音がコラージュされた音が、場内に響き渡る。小山田二郎風映像は潰え、同じ場所に加工された写真がその本来の姿から大きく変形されて動き続ける。座る鈴木の服はスクリーンと化し、鈴木の幼少の頃の写真がスライドされる。鈴木は微動だにしない。映像が消えると同時に、鈴木は闇の中で両手を挙げていく。
鈴木は大きく口を開け、表情を作っていく。上部からのライトが鈴木を照らす。鈴木は首を擡げ、足の裏から移動を始め、体を捻っていく。音が止まり、無音の中、鈴木は座ったまま左足を掲げる。右肘を立て、椅子から離れて床に流れる。右指先は顎を辿り、左指先は床を走る。
鈴木は右手を掲げると体も付いていき、腰を引き上げる。体を引き摺るように、床を移動する。椅子の座面に頭を転がしてから座面に腰掛けると「指」と発音し、指を前に翳す。「私は10,500日前に生まれたそうです」。椅子に身を委ねながら語り、語りながら椅子と共に床に落ちる。そのまま這うと、抽象的な音が再びスピーカから流れる。
舞台床全体を、白い光が柔らかく照らす。鈴木は右側面を下にして、全身を痙攣させる。うつ伏せになっても続け、体で椅子を押していく。そのまま右奥に到達すると、赤いライトが鈴木を照らす。鈴木の左爪先は定期的に床を打ちつけ、音を発生させる。後方壁面のドレスの上に、鈴木本人の加工された映像が揺らめく。
後方壁面左側にも、より加工された鈴木の映像が投影される。上着を脱いだ鈴木はドレスの下に潜る。後方壁面の鈴木の映像は、合計四体となる。四人の鈴木の映像が揺らめき、一人の実体の鈴木はドレスに隠れている。不安定な電子音が響き渡る。鈴木がドレスを着ると、ドレスの上の映像は潰える。
鈴木は蹲る。四体の映像が消えると鈴木は立ち上がり、指先でドレスの裾を広げ、膝を深く曲げて片足で立つ。そのような鈴木の所作に、赤いライトが投じられる。鈴木は右前に出て旋回し、手首を振って足首を柔軟に移動させる。強い光に照らされながら、鈴木は繊細なダンスを続ける。
鈴木は左壁面に背をつけ、掲げた右足を回す。後方壁面中央に鈴木の顔と、その上を廻る膜のCGが二重映しとなる。光は潰え、映像の明かりの中、鈴木は壁伝いに後方壁面に移動する。顔の映像は左にも浮かび上がり、中央が消えると右に投影される。鈴木は膝を曲げた姿勢で壁面の自己に対して「おい」と声を掛ける。
自己の顔の映像を叩くと、その映像は消える。「おーい、出して、ここから出して」。鈴木が叫ぶと映像は中央を残して消える。左側に位置する鈴木がしゃがみ込むと、鈴木の顔の映像は後方壁面左側のみとなる。赤い色彩が映像に混在する。機械的な音が鳴る。鈴木は壁面を指先で辿っていたが、突如前に迫り出し、床へ滑り込む。
鈴木の顔の映像は消える。後方壁面左に鋭利に切り込まれた矩形が投じられ、その中に運動会の実写映像が流れる。中央上、右下には星型、左には海星型が映り、全てに実写映像が投影される。鈴木は左の矩形に入り、両手を巡らせる。上からの照明が薄らと舞台を照らす。ピアノと子供の声が微かに聞こえる。
鈴木は両手を羽ばたかせながら舞台を回り、その場で飛び、中央で低い姿勢となって上体を巡らせる。何時しか映像は右下のみとなる。鈴木は溶けそうなフォルムを、気丈に形成する。「ここに椅子があって、そこにテーブルがあって」。鈴木は家族の情景を踊りながら語り始める。ハミングにギターが重なる。
「ここにいる人は何時か居なくなるの」。そう語ると、鈴木は顔を埋めながら床を這う。中央で胡坐を組み、何かを待つ。後方壁面に細長くされた鈴木の映像が、横並びに四体投じられる。鈴木は右端の一体と同化する。一筋の光が鈴木に当たり、映像が潰えると45分の公演は終了する。
アフタートークで機械的な音は照明の早川誠司が制作したことを、ヒグマが明かす。過去の鈴木と先の鈴木の記憶と体に注目した。鈴木は海外に居たため3.11を経験していない。そのあり方を探りたかったとヒグマは語る。自分で自分を見て、やっていて不思議だと鈴木は話した。
鈴木はある切っ掛けを経て自己の幼少の時代を振り返ったのではあるのだが、単なる追憶に止まらず、「存在とは何か」という宙ぶらりんの状態(=現象学で言うエポケ)を形成することによって、過去でも今でも未来でもない「現象」を生み出した。それは最小限の素材と投影を行ったヒグマが助長した。
ヒグマが持つ空間性と鈴木が携える距離感が、悠久の彼方に見る者と本人達を誘ったのだ。
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