ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.63

Visual Paradigm shif Vol.63 of Haruo Higum

不可思議な音を形成する

2014年11月26日
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
ゲスト:ケイトリン・コーカー/Caitlin Coker(ダンス) ルイ・リロイ・田中/rui・riroi・Tanaka(ギタリスト)

映像パラダイムシフトVol.63より

報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台右には、イーゼルに90×120cm程度のベニヤ板が立て掛けられている。中央には40×30×10cm位の平台が縦に置かれ、左にはE・ギター、エフェクター、スピーカが備え付けられている。ヒグマの映像装置は客席前方右に設置されている。
開場時から後方壁面中央に、縦長の映像が投影されているが、照明が明るい為、波のようなCGであること以外、認識できない。
ヒグマ晴夫とルイ・リロイ・田中が所定の場所に腰を据えることによって、公演が始まる。ルイは木片でギターの弦を擦り、持続音を発生させると照明が徐々に落ちていく。後方壁面の垂直に流れるCGが顕わとなる。ケイトリン・コーカーは床の扉を開けて場内に入ってくる。
立ち上がったケイトリンは、背中を映像の中へ投じる。ルイは沈黙する。ケイトリンは背を向けたまま足を左右に大きく開いて平台に腰を掛け、右肩を落とす。ルイはギターのボディを拳で叩き、打撃音を発生させる。ケイトリンは肩を揺るがせ続ける。
垂直の映像は左右に広がる残像を発生させる。ケイトリンは平台に乗る臀部の後ろに両掌を支え、脚を素早く巡らせる。両掌を、自らを包むように肩へ移動させる。ルイはディレイを有効に使い、不可思議な音を形成する。
縦長の映像が台形に変容する。ケイトリンは体を捻り、捩り、フォルムを全く残さない。平台を脚の間から引き抜いたケイトリンは、床に背を付けて平台を胸の上に乗せる。イーゼルのベニヤ板にも、台形と同様の垂直に流れる有機的なCGが投じられる。
後方壁面の映像が消え、投影はイーゼルのベニヤ板のみとなる。ケイトリンは平台を抱えて膝立ちになるかと思うと、床に背をつける。立ち上がるかと思うと、座り込む。ベニヤ板にはCGとヒグマのポジションから捉えた場内のライブ映像が二重写しとなる。
ルイは、ハウリングから純音を導いて演奏する。ケイトリンはやっと立ち上がり、後方壁面の前で平台に座る。映像はライブのみとなる。床に、ベニヤ板から反射するような照明が投じられる。ケイトリンは平台から立ち上がり、リズミカルに両手足を動かす。
ルイはタッピングによる素早いフレーズを繰り返す。床に複数の矩形の光が落ちる。ケイトリンはため息を漏らし、腰を低くして動きを続ける。映像と音楽は一度、ブレイクする。映像は膨張するサイケな色面、ギターはハーモニクスによる持続音を立ち上げる。
座り込んだケイトリンは立ち上がり、上に視線を集め、両手を広げて爪先で立つ。よろめく様な旋廻を始める。後方壁面に三つの矩形が投じられ、中でCGが蠢く。ケイトリンは舞台右に隠れる。矩形は後方壁面上部にも増殖し、ベニヤ板を含む全てが同様の映像である。
ルイはスライド奏法による粘りある音を積みあげる。映像はモノクロで素早く移動するCGに変化する。映像は赤、黄、緑で構成されるマーブル状に動くハレーションを起すCGに変化する。

映像パラダイムシフトVol.63より

ケイトリンはこれまでの黒いボディースーツから帽子、下着、フレアスカートと白を強調した衣装に着替え、ベニヤ板の前で体を揺るがす。CGは一時停止しては再び動き始める。ルイは単音を奏でる。
CGは再びモノクロの世界に還ってはハレーションの渦へと変化する。ケイトリンは床へ展開しても動きの動機に変化はない。映像は建物の前を影が遮るカラー写真となる。ケイトリンは床から腰で座り、立ち上がって素早く巡る。
ケイトリンは、平台を頭で押して後方壁面につける。壊れた人形のように床と壁面に体をつける。ルイは旋律をループさせる。映像はモノクロ写真に変化する。後方壁面の矩形は増えたかと思うと、元に戻っている。
ルイが柔らかいアルペジオを奏でると、ケイトリンは床を滑る様に移動する。その様子が映像に二重写しとなって投影される。ケイトリンは後方壁面の写真に映し出されている物体の角度に自らを重ねる。
ルイが細かいパッセージを弾くと、更に加工されたサイケデリックな映像が投じられる。ケイトリンは地団駄を踏むように忙しなく床に足の裏を打ち付け、ギターの反復に身を委ねるようにゆるやかに身をこなす。
映像が大きく変化しなくとも、ギターによるドローンとケイトリンの緊迫感のある動きが会場の雰囲気を大きく変える。矩形の映像は失われ、ベニヤ板のみとなる。ループをバックとした単音のギターソロにケイトリンは床を異化する。 床に矩形のライトが複数投じられると映像が閉じられ、照明も静かに落ち、ギターの響きだけが闇の中に留まる。45分の公演であった。
アフタートークでヒグマは打ち合わせなしに公演を行ったことを明かし、ルイに映像とケイトリンの存在を意識したかと問うたところ、ルイは映像とケイトリンに感情の起伏を感じたと答えた。
ケイトリンは踊らない。卵の中の妖精のように、生きる意味だけで動く。それは絵画で言うジェストではなくテクスチャに匹敵し、J・ポロックよりもF・ベーコンの作品を想起させる。有機のあり方、生、感情という生きる意味を問うのだ。

照明:早川誠司
撮影:坂田洋一