海べの知覚
2016年2月29日(月曜日)
ゲスト:伊藤哲哉(俳優)、小松睦(ダンス)
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
照明:早川誠司
「感想文」山下史郎
伊藤哲哉の朗々と響く声、その朗読はホールに響く。方丈記は省みのファンタジー、それはその無常の世での返り身を示す。不条理を語りながらも、その空間を宇宙とし無常を笑い飛ばしている。ヒグマの映像はそれをまた現在の記憶として顧みさせる。現状を語るものとしてギャップが有る。ヒグマと伊藤が同時に、別のアングルから現状のギャップを生んでゆくのである。小松睦は紡ぐ者としているのではなく、身体に亀裂走るひとりのヒトとして、その場でその身体を表わしている。日常の内と外を活性化させる。日常は実はそうやって、その姿を表しているのだ。
ヒグマが日常に潜む巡礼を写し出す。亀や朽ちた魚、そして九十九里浜からの巡礼は、記憶や未だ変わりえぬ世の不思議に運命なるものを実像として提示し、そして同時に、それを空間の奥につれて回る。闇は旅を写すもの、、抗い。奥行きにあるものは伊藤によって肉体化されたひとりの僧、そして亀裂を帯びた小松によって表わされる人という名の我々。映像の外縁にある黒は、巡礼に映し出される連なりに等しい。
我々は泣くことを止める前に、無常を創り直さなければならない。抗いをやめることなく生きていることが、我々だと言うことをあの空間を朗々と歌うのである。
報告:宮田徹也
(日本近代美術思想史研究)
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」、『方丈記』の一節が、黒い後方壁面に白抜きの文字で投影される。不安定な電子音が流れる。伊藤哲哉が入口から舞台に入り、中央で立って暗記で『方丈記』を読み上げると、電子音は止まる。
客席前方に位置するヒグマは舞台右前から左奥に向けてプロジェクターを開き、ヒグマの居る場所足元からのライブ映像を投影する。この動線上に胴体に紙を、受皿にアルミホイルを使用した円柱のオブジェが6つ並んでいる。オブジェの高さは奥に行くほど高くなる。
左角には山のような形で白い紙が貼られ、後方壁面中央には白い防護服が人型に貼り付けられている。伊藤は袈裟を着ている。朗読を淡々と続ける。ヒグマは右角を中心に、もう一つ映像を投射する。
映像は、海岸に低い視線を向けて歩む音声入りカラー動画である。天井のライトが6つのオブジェを照らす。オブジェは寺院の柱とも蓮華にも見えてくる。池の表面に漂う蓮に建つ柱とも。映像と海の音が止まっても、伊藤は舞台を歩みながら朗読を続ける。
左の映像はライブのままである。右の映像は海に穴が開き、波に街が飲み込まれるカタストロフィー的モノクロ写真に変化する。小松睦が客席から突如舞台に登り、背を向けて舞台右側にしゃがむ。伊藤は左角に位置する。
右の映像は海岸のカラー動画に戻る。小松は立ち上がり、右掌を掲げ、後方壁面に頭部をつけて体を揺るがし、離すと客席に背を向ける。下に潜り、床で展開し、オブジェの間をさ迷う。伊藤は右側へ移動し、朗読を続ける。
右の映像は山を進む人々のモノクロ写真となる。小松は左側で立ち上がり、右側へ移動する。伊藤は常に小松と反対に位置するよう、移動しながら朗読する。右の写真は海岸で亀を写すカラー動画となる。
小松は体の横に軽く両腕を開き、海の上の映像の中で、水の中を漂うようなダンスを繰り返す。小松は倒れ、沈黙する。右の映像は海に浮かぶ家のモノクロ写真となる。伊藤は朗読しながら前から四つ目のオブジェの一つを倒す。
右のモノクロ写真は、爆破するボール型ガスタンクとなる。小松は観客に背を向けて腰で座る。右の映像は海岸のカラー動画となる。小松は立ち上がり右手を差し伸べ、前から三つ目のオブジェに顔を埋め、そのまま倒れ込む。
右の映像は、20以上の列を成した車が追突した状況を俯瞰的な視線で捉えたモノクロ写真となる。小松はオブジェの根元に手を掛け破壊する。不安定な電子音が鳴り続ける。右の写真は、津波に飲み込まれる寸前の家屋に変化する。
小松はオブジェを被ったまま床に臥す。伊藤は右手を翳しながら朗読を続ける。小松は後退し、防護服の傍らに座る。嵐のような音が聞こえてくる。僅かな沈黙を経ても、伊藤は朗読を続ける。右の映像が消える。
小松は後方壁面に貼り付けられている防護服の左手に、自らの右手を差し込む。防護服と正面から向き合う形となる。右の映像が再度、投影される。海岸のカラー録画である。魚の死体へ執拗に視線を向ける。
照明が暗くなり、青い光が薄らと床を照らす。小松は倒れる。「自ら心を養うばかり也」。朗読が沈黙する。不安定な電子音が続く。小松は前から5つ目のオブジェの後ろに隠れ、四足でオブジェを前に移動させる。「また…」、朗読は再開される。
右の映像から、白抜きの文字が投影される。「もう直ぐ5年・フラクタルラインの謎/海べ(ママ)の知覚/2016年2月24日・九十九里浜海岸で撮る」。立ち上がった小松は、両手を差し伸べる。右の映像は再び死んだ魚となる。海の音が聴こえる。
小松は別のオブジェの後方に隠れ、四足で押す。左のライブ映像を映す赤外線カメラが照明に反応し、仕切にカラーとモノクロ映像を繰り返す。上からの白い光が、舞台床を隈なく照らす。小松は左角へ逃れる。
右の映像は、瓦礫に突っ込む車やコンテナのモノクロ写真となる。左の映像がこの日はじめて、ライブからサイケデリックな色面が上部、水面のcgが下部に投影される映像に変化する。小松は腕、肩、手首、肘、腰、膝、足首をこよなく柔らかく稼動させて踊る。
朗読が停止する度に、不安定な電子音が耳に障ってくる。小松は踊り続ける。壊滅的な電子音が唸りをあげる。実際の工事現場の録音かも知れない。橙と白のライトが舞台床を照らす。小松は右側で緩やかなダンスを続ける。
「富山の山陰にて、これを記す」。伊藤の朗読は終わる。不安定な電子音が鳴る。何時しか左の映像はライブに戻っている。右の映像は海岸のカラー録画である。小松が両手を広げ、上を向くと、映像は潰え一時間の公演は終了する。
淡々と続いた朗読は左の映像同様、通常ならば主役であるにも関わらず沈黙を生み出した。もしかしたら沈黙していたのは黙示録的イメージと小松のダンスだったのかもしれない。四つの要素はコラボレーションにより、その役割を越えて反転を繰り返したのだ。
北里義之・批評
「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトvol.75」のゲストになった俳優の伊藤哲哉とヒグマの出会いは、1980年代のヒノエマタ・フェスティバルにまでさかのぼる。それぞれがその後の長い年月に活動を絶やすことなく、鴨長明の没後800年を契機に、伊藤が『方丈記』の朗読に取り組むなかで再会した。共演は回を重ねているが、即興的なパフォーマンス性を重視する『方丈記』の映像展バージョンには、さきごろ銀座 K's Gallery で開催された「連鎖する日常/あるいは非日常の6日間・展」の最終日(2月20日)に踊ったダンサーの小松睦が飛び入り参加した。照明はキッドの早川誠司が担当。会場には、ロウソクに見立てて頭を波形に切った紙製の円筒が、アルミシートに載せられて5~6本ランダムに並べられ、正面のホリゾント壁にはモノクロ写真および砂浜のビデオ映像──字幕に「もうすぐ5年・フラクタルラインの謎/海べの知覚/2016年2月24日・九十九里浜海岸で撮る」と表示──が、また白い紙が張られた下手の柱には、パフォーマンスを赤外線撮影するライヴ映像が投射された。上手観客席に置かれた映像ブースからは、公演全体のイメージを性格づける強烈な白光が投射され、『方丈記』を朗読する伊藤は、上手にあけられたスペースと下手を往復しながら、ときに大きな身ぶりを加えた緩急の呼吸で朗読を進めていった。正面の壁に投影されるモノクロ写真の映像は、東日本大震災によって押し流される家や自動車の墓場、爆発する石油コンビナートなど、また動画では汚染土を詰めたビニール袋の山などが映し出され、自然災害や遷都で荒廃した世相を嘆き悲しむ『方丈記』との間で、過去と現在の時間(現象的には、テキストと映像の時間が)がひっきりなしのワープをくりかえした。
墨染めの僧服、白足袋に草履という伊藤のいでたちは、いうまでもなく旅の僧侶をあらわし、『方丈記』の昔語りは、夢幻能に登場するシテとツレの役割を同時にこなすようにして語られた。その意味では、少し遅れて登場した小松は、正確に対応しているわけではないが、後ジテとして出現して最後に舞いを舞う亡霊に相当するといえるだろう。かたや、私たちの記憶に刻まれた東日本大震災の映像を、ドキュメントといえるほど生な形で引用したヒグマのパフォーマンスは、白い防護服を壁に吊るすなどして、『方丈記』が語る自然災害を越えて核災害にも触れ、さらには、浜辺を撮影した動画のなかで動かない海亀や腐敗する魚にフォーカスし、写真としての引用をはばかられる身体の存在に、それと告げることなく言及したと思う。公演の後半で、円筒に頭を突っこんで床に倒れこんだ小松は、この語ることのできない身体に触れていたかもしれない。こうしたイメージの振幅のなかで、旅の僧が『方丈記』を物語る一人芝居の場において、ロウソクに見立てられた紙製の円筒は、映像との関係において、古風な死神の物語を橋渡しにして、人の生命を象徴するともしびに見えていた。孤独にそれぞれの生を燃やす命のヒトカタとして。
「パラダイムシフト」において重要なのは、小松睦のダンスが、踊りによって亡霊や死者を「演じる」ことではない。語りと映像によって構成される形式とか、そこで固定化される意味や内容を、その外側からやってくる身体が、内容を斟酌することなくパフォーマティブなレベルを動きつづけることで撹乱する危険分子になること、あるいは、そのようなものとしてインスタレーション空間に召喚されたという点にある。これは、本公演に限らず、身体表現者とのコラボを基本的なスタイルとするヒグマ映像展の勘所といえるものだろう。それは即興パフォーマンスが公演の主眼になっているためではなく、インスタレーションの形式を固定化することなく、映像をつねに発生の場に縛りつけておくために不可欠な作業であり、「映像の可能性」をご託宣にしてしまうことなく、つねに開いた問いの形で提示するために他ならない。視点をダンサー側に移せば、もし彼らが身体を映す鏡としての作品を求める踊り手であるとしたなら(通常はそうなのだが)、勝手なこともできず、縛りつけられもしない映像展でのパフォーマンスは、彼らの身体からアイデンティティを奪うような、一種の困惑のなかに突き落とす。というのも、踊りはそれだけ取り出してよしあしを判断することのできないものとなり、引き起こされる出来事をもって初めて意味を与えられるからである。
観客席の最上段に座り、素知らぬ顔で携帯などをいじっていた小松睦は、語り手が下手に移動し、遷都でさびれゆく京都のさまを語っているあたりで、突然、ステージ上手に飛び出してきた。きっかけはダンサー判断だったという。正面壁には、津波に襲われる大地を上空から撮影したモノクロ写真の映像。空間の隙間を発見するために手探りで踊られるダンスは、公演の終わりが段取られていないので、共演者の呼吸をはかりながら、ひとつ、またひとつと継ぎ足していくように進められた。映像のなかに入ったり、円筒と円筒の間を這い回ったり、プロジェクターの前に立ったり、穴のあいた円筒にうえから頭を突っこんで倒れこんだり、床のうえで横転したり、背中向きになって壁の防護服に両手を通したり、下手奥に立っていた円筒を中央まで押してゆくと、ロウソク皿をあらわす(と思われる)アルミシートを踏んで歩いたり、円筒の筒のうしろに身体を隠したりというふうにジグザクに進んだ。下手の柱を背にして立ったところで、この日初めて投影されたカラフルなヒトカタ映像を上半身に浴びたのが、ダンスのクライマックスだったのではないだろうか。その後は、上手と下手の間を回遊するように往復、最後の場面では、砂浜の映像に身をさらし、左手を前に差し出すなどしているところで終演となった。
ヒグマ春夫の映像パフォーマンスにおいて、これまで表立たず、見え隠れに姿を見せていた回避することのできないテーマが、本格的に浮上をはじめた。本公演の場合、『方丈記』が強く背中を押したこともあろうが、3.11の自然災害/核災害を撮影した映像に新しい[美的]形式を与えるのではなく、意外なほどダイレクトに引用するパフォーマンスに、ヒグマが出来事を真正面から受けて立とうとする姿勢がうかがえる。5年目の3.11が近づくとともに、震災を大きな契機とする作品にいくつも出会うなかで感じるのは、ジャンルを越えたより広い表現のフィールドにおいて共有されるようになった意識があるのではないかということである。5年という月日が経験をしかるべき深さにまで内面化したのだろうか、これまで喪を過ごすためにおこなわれてきたメモリアルな表現活動のありようは、いまなおつづく復興と核災害のなか、容易に回答が見出されないもがき苦しみのなかであっても、待つことをやめ、積極的な道を模索しはじめたように思われる。よく言われるように、回復とは、もといた場所に戻ることではない。未来を切り開くなかで、新しい生を構築することである。戦後を生きるなかで築かれた私たちの文化風土にあって、それはまったく新しい世界を切り開くことに等しいだろう。■ (2016年3月3日)
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