ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.79

出演:西樹里/4.48サイコシス

早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業、学習院大学院身体表象文化学専攻修了。ベルナール=マリ・コルテス『ハムレットの物語の殺人の日』、サラ・ケイン『Phaidra's love』など、戯曲の翻訳・研究と地続きの上演活動を続ける。近年は鴎座『森の直前の夜』、戯れの会『旦那さまはハンター!』等、主にドラマトゥルクとして活動。共訳に『コルテス戯曲選3』(れんが書房)。

ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.79
日時:2016年7月19日(火)
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
出演:西樹里/NISHI KiSato(ドラマトゥルク/パフォーマー)
照明:早川誠司
協力:キッド・アイラック・アート・ホール

「映像パラダイムシフト」は、映像とはいったい何だろう、映像が関わるとどんなことが可能になるのだろうか、 といったようなことを追究しています。


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報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台には机が置かれ、椅子が向き合う。頭上には大型のサーバーが吊るされており、約30秒に一滴、ワインが机上のコップに滴り落ちる。直径約120cmの円形の紗幕(以下、小)が、椅子に座る西の頭上の辺りに上向きで設置されている。右天井にも直径約150cmの円形の紗幕(以下、大)が下向きに設営されている。

大には抽象的なカラーのCGが、小はモノクロで、実写の胴体と鞭毛のようなCGが重なる。西は罵詈雑言を繰り返す。「私はできない」。「私の道徳心が、私の自殺を決めて」。サラ・ケインの《4.48 クライシス》である。西は机の上のタブレットを呑み続ける。椅子を客席側に向けて座り、一人で患者と医者の質疑応答を繰り返す。

大の映像が消え、小の映像は赤外線カメラによるライブへと変化する。注目すべきは映像が反転している点である。プロジェクターが後方にあるためだが、その効果は絶大だ。見る者は西を外から眺めるのではなく、西の内面に潜ることになる。つまり見る者の視線は西と一体化するのである。

「体と魂が決して一つになることはない」。ヒグマは大小交互にライブ映像を映す。西は紙片を次々に読み上げ、読み終わると足元に落とす。しかし読み上げているふりをしているだけであり、実際には暗記している。手首を切り、散らばった紙片に文字を描くが認識することができない。小のライブ映像に湧き上がるCGが重なる。

西は再び椅子を動かし、一人質疑応答を繰り返す。大の映像は黒地に無数の白いラインがゆっくりと流れる。西は椅子を戻し、机の上のタブレットを呑み込みまくる。大にライブ映像が投じられる。小にはライブと抽象的な赤いCGが重なる。大は黒地に複数の青いラインが流れていく映像に変化する。 水滴が不安を助長する。西の朗読は、リズム、ボリューム、声音に緩急がつき、サラの複雑な感情を客観的に掘り起こしつつ、自らもサラの情感に没頭する。ヒグマの映像とサラの台本や西のパフォーマンスとがどのように関係しているのかは、立ち会う者が決めることだ。象徴性や具体的事項に気をとられるとコラボレーションの本質を見失う。

小に赤く加工された写真が投じられ、白い円のCGが回転する。立っていた西は椅子に座り、机の上の紙片を読み上げる。内容はカルテであろう。大には黒地に水銀が湧き上がるようなCGが投影される。西は再び立ち上がる。

「ハッチが開いていく。くっきりした光」。「そしてこれが、間違いのリズム」。西は机の上のタブレットを呑み込む。椅子の向きを変え、一人質疑応答を繰り返す。椅子を戻し、煙草を吸う。「捩れがはじまる」。発言すると、煙草を揉み消す。一人質疑応答に戻る。「ハッチが開いていく。くっきりした光」。小には血脈のようなCGが投影される。

西はカッターを取り出し、小の紗幕を切り裂く。切られてはじめて紗幕の素材がビニールであることに私は気付く。切り裂くというより、暴力的に突き破る。紗幕が切り裂かれても、ヒグマは映像の投影をやめない。すると不思議なことに、紗幕がないにも関わらず、私達は映像を認識することができる。一体、スクリーンの存在とは何か。

西は机の上の紙を手に取り、破り捨てる。全てを破ると立ち上がり、一人質疑応答を繰り返す。照明により、西の影が後方へ伸びてゆく。大小の映像が止まる。西は椅子を戻し、タブレットを呑み続け、止まって前を向き続ける。「私の父親そっくり。ああ、嫌」。「ハッチが開く。光が差し込む」。「破裂がはじまる」。

「薬を全部呑み、手首を切って首を吊った。4:48、ハッピーアワー、明晰がやってくるね」。「貴方が私を壊していく。黒い雪が堕ちていく」。「見て、私、消える」。「私は私の舌に貼り付けられていたから」。朗読が終る。止っていた映像は潰え、照明が落ち、70分の公演は終了する。時間を感じさせない公演であった。

サラ・ケインは1971年英国生まれ、1999年自殺。処女作の「ブラスティッド」の初演が1995年で、それから死ぬまでの4年間に毎年1作ずつ作品を発表している。《4.48 クライシス》は遺作で、2000年に初演された。日本の演劇界で、何度も上演されている。自殺の独白の台本は聞くに堪えられないが、それに即した過激な演出作品もある。

西は三輪冬子の翻訳を使用したとパンフレットに記されているが、本人に話を聞くと、西自身の翻訳も挿入されているという。私が何度か立ち会った《4.48 クライシス》よりも柔らかく、だからこそ核心に迫る翻訳であった。「私を見て」。見て貰いたい欲望とは、狂気の中には存在しないのだ。

簡素な机と椅子、タブレット、煙草という最小限の演出も見事であった。狂乱とは本来、過激なものではなく静謐な内容を保持する。どのような状態であれ、人間の営みには違いがないのだから、人間の心を知っていれば人間を伝えることができる。西とヒグマの本作は、そのような当たり前のことを実現した。


Higuma Haruo(Artist)
'90年度文化庁派遣芸術家在外研修員ニューヨークその成果発表を’08年「DOMANI・明日」展(国立新美術館)。映像が介在する表現に固執し「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト」を継続中。他にコラボレーション企画「ACKid」、「連鎖する日常/あるいは非日常・展」がある。


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