ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.80

出演:SHIOTAKA Kazuyuki(琵琶奏者・作曲家)、SOON KIM(アルトサックス奏者)、MAKISE Akane(ダンサー)、HIGUMA Haruo(映像・美術)


ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.80
日時:2016年8月25日(木)
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
出演:塩高和之/SHIOTAKA Kazuyuki(琵琶奏者・作曲家)、SOON KIM(アルトサックス奏者)、牧瀬茜/Akane Makise(ダンサー)、ヒグマ春夫/HIGUMA Haruo(映像作家・美術家)
照明:早川誠司
協力:キッド・アイラック・アート・ホール

「映像パラダイムシフト」は、映像とはいったい何だろう、映像が関わるとどんなことが可能になるのだろうか、 といったようなことを追究しています。


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報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

舞台奥左側に塩高和之、右側にSOON KIM、客席前方右側にヒグマ春夫が位置する。後方壁面には幅60cm程の紙が縦に三列貼られている。右は床から2m程度、中は軒を通り越して僅かに上り、左は上部途中まで延びている。19時35分、三人がスタンバイする。

後方壁面上下に、二つの映像が投影される。上の映像はヒグマの位置から、下の映像は二階から投影されているので柵の影が映りこむのだが、この影が何とも言えない雰囲気を醸し出している。上下同じ映像だが、影と紙のスクリーンによって変化が成されている。

映像は森の中の川の流れ、波打ち際の海など、自然のカラー実写である。塩高が琵琶の弦をスクラッチし、KIMのアルトサックスはビブラートのないクリーンな持続音を放つ。狐の面をつけ着物を纏った牧瀬茜は床奥の扉を開け閉めし、拳を軽く握って舞台に登る。

KIMは止まり、塩高の単音が連なっていく。KIMはアルトサックスを再開する。ヒグマは自然のカラー実写と場内のライブ映像を二重に映す。牧瀬は立ち上がり、爪先立ちで炎のように揺らめく。二重写し、ライブのみ、自然のみと目まぐるしく変化する。

牧瀬の踊りは東洋的シャーマンのように見える。琵琶のアタック、アルトサックスのドローンという対比から、KIMはジャズ的な旋律を放って脱出する。塩高もまた有機的旋律によって離脱する。

牧瀬は着物と仮面を外し黒いボディスーツ姿になると、硬質なダンスへと変容する。映像は、ライブのみから夕刻の自然との二重映しとなる。牧瀬の影がスクリーンへ効果的に映りこむ。牧瀬のダンスはバレエ的というよりも西洋的である。

琵琶とアルトサックスの音が入り混じる。カラー実写の映像に、浜辺で飛ぶ鳥、打ち棄てられたモニターが登場する。モニター内には、ヒグマが加工したサイケ調のCGが映し出されている。壊れたモニターを巡る視線の映像に変化する。

塩高はスクラッチ、KIMは持続音を続ける。牧瀬はボディスーツを脱いでいく。映像は水面とハレーションを起こすCGの二重映しからライブへと変化し、再度、水の中で溶岩が溶解する印象を与えるCGと化す。

塩高とKIMは模索するのではなく、時間をかけて音を立ち上げていく。牧瀬は床で踊りながら全裸となる。立ち上がってからの力を込めたダンスは、古今東西で共通する人間の姿であろう。牧瀬は右奥へ消えていく。墨絵的CGとライブ映像が重なる。

黙示録的なモノクロ写真、海の波、連なる山のようなCGと、映像は変容を続ける。KIMは演奏を止めるが、塩高は僅かなスクラッチを続け、それはやがて大きなうねりとなっていく。薄手の白いドレスを着た牧瀬が右奥から舞台に登場する。

カタストロフィ的なモノクロ写真と、茫洋とした無数の人型が蠢くCGが二重写しとなる。KIMは多様な旋律を演奏し、牧瀬は大きく広げた腕を回す。塩高は鋭いアタックを放つ。牧瀬は左胸元を晒し、ギリシャ彫刻のように聳え立つ。

滴り落ちる水の実写と、ライブ映像が二重映しとなる。KIMは断片的フレーズを繰り返す。塩高はバチを垂直に弦に叩きつけるストロークを執拗に行う。牧瀬は脱いだ上着を下に垂らしてスカートを翻すように踊り続ける。

映像は、海に激しく降りしきる雨のカラー実写となる。やがて雨は止み、晴れ間が除く映像となる。塩高とKIMは対照的なフレーズを演奏する。世紀末的なモノクロ写真と、ライブ映像が二重映しとなる。

牧瀬はヒグマが位置する客席前方に走り込み、赤外線カメラを覗き込む。その時、早川誠司による赤い照明が牧瀬を照らす。その様子が、映像となって後方壁面に投影される。牧瀬は中央に戻り、象徴的なダンスを踊る。

川が氾濫するカラー実写映像が、投影される。塩高とKIMは演奏を止める。牧瀬が後方壁面で背を向ける。それはまるで、牧瀬が映像の中へ吸い込まれている印象を与える。映像はそのまま、場内の空気が弛緩し、一時間の公演は終焉を遂げる。

演奏は終始、フリージャズ的な抽象に陥らず、ダンス、映像と同様に、明確で具体的であった。KIMは歌うようでもありながら感情を抑制し、まるで風が吹いているような自然現象を連想させる。塩高の客観的でありながらも強い主張は、人間存在の根底を表している。

牧瀬は踊りの見せ方を熟知している。その上でダンスが表象したものは何か。それは愛であり、自由であり、生命の謳歌であろう。牧瀬は音楽と映像に合わせるわけでも、無視をしているのでもない。それぞれの芸術の根底を探った。

映像は極めて破壊的な感触があった。空港へいくと、「拳銃、麻薬、ポルノ」の国内持ち込み禁止のアナウンスが流れる。何れも人間を破滅させる危険物ではあるのだが、危険物は欲望を制御すれば人間の営みの極めて有効に作用する。薬は毒でもあるのだ。

つまり、互いの存在を尊重し、自らの主張を構築する、多様な世界の共存がここに実現された。それも熱狂的ではなく、極めて静謐であったことが、このコラボレーションの特質となっていくだろう。


Higuma Haruo(Artist)
映像が介在する表現に固執し「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト」を継続中。他にコラボレーション企画「ACKid」、「連鎖する日常/あるいは非日常・展」がある。Art Meeting 2016-田人の森に遊ぶ- を契機に「映像インスタレーション/海べの知覚」を思索中。


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