ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト

日本舞踊と映像とのコラボレーション

おなじ波が現れることはないが、身体表現者のおなじ動きもまたない。わたしたちは空間を背景に微妙に変化している。

ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.83
出演:花柳輔礼乃HANAYAGI Sukeayano(舞踊家)
   花柳うさぎ、花柳礼子猿、花柳貘
日時:2016年11月28日(月) Start 19 : 30 2.000円
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
   156-0043 東京都世田谷区松原2-43-11
   (京王線・井の頭線、明大前駅 下車 徒歩2分)
    照明:早川誠司     
    写真:坂田洋一
    協力:キッド・アイラック・アート・ホール    

「映像パラダイムシフト」は、映像とはいったい何だろう、映像が関わるとどんなことが可能になるのだろうか、 といったようなことを追究しています。


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報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

ホールの扉入って右が舞台、左が客席である。舞台右奥窪みをアルコーブとし、赤と白の縦縞の布が仕切りとして機能する。床にリノリウムは敷かれていない。後方壁面一杯に映像が投影される。墨絵のような印象から爆破され燃え上がる雲のようなイメージのCGである。横断歩道のモノクロ写真、ライブ映像と様々に展開する。

着物姿の花柳輔礼乃、花柳うさぎ、花柳礼子猿、花柳貘が入場し、舞台を時計回りに摺足でゆっくりと巡る。笙のような音が聴こえる。四者は中央で向き合い、旋回し、ばらける。再び四人は弧を描きながら舞台を回る。二人が屈むと二人が立つ。映像は、黒地に黄色い縦線が横へ流れるCGである。やがてCGは網状に展開する。

うさぎのソロである。うさぎは辺りを見回すように歩む。映像はライブと黒地に緑の線が中央に集中するCGの二重映しである。柔らかい旋律と優しいパーカッションが流れる。古謡の『さくらさくら』である。ライブ映像はサイケ調に加工される。うさぎの踊りは決して日舞に留まらず、むしろマイムや演劇といった物語を感じさせる動きでもある。

うさぎが語る。「彼は何時までも、そこに座っていることができました」。ライブはシンメトリーとなり、黒地に緑の線が中央へ集結するCGが重なる。獏のソロが終わり、三者が登場してカルテットとなる。映像は靄のようなCGとなる。波の音が響く。シンメトリーの映像はフィードバックを起こし、4人が2組、8人が更に倍の16人と増殖する。

三者がアルコーブに入り、礼子猿のソロとなる。水泡のようなCGとライブが投影される。礼子猿は何かを呟いている。鈴の音が聴こえてくると、礼子猿は緩やかに、蝶の様に踊る。歌うとジャズが流れる。上部のライトは緑から赤へ変化する。乗り物に乗って移動する影を撮影したようなCGと、瓦礫の山のように見える写真が二重映しとなる。

礼子猿は扇子を広げる。電飾をつけた黒子、ヤマモトカヨ、テンマル、アヤリノがマラカスを振って礼子猿を応援する。影像はエフェクトされ、ハレーションを起こす。三者が入場し、アフリカ音楽的な旋律に合わせて行進を始める。影像はライブのみだが、再びシンメトリーに展開するので、16人+実体4人の計20人が舞台で舞うこととなる。

狐の面をつけた獏のソロとなる。うさぎは民間伝承的な歌を歌い、狐の仕草の踊りを続ける。獏は面を外して床に置き、傍らに正座し、『小さい秋』を歌う。中座して客とジャンケンをし、戻って続きを歌う。獏がアルコーブに消えると三者が舞台に登場し、和的弦の音に合わせて踊る。影像はシンメトリーのライブと炎のようなCGの二重写しである。

獏も舞台に戻り、四者は着物に羽織った衣を靡かせて舞う。花柳輔礼乃のソロが始まる。降り頻る雨のようなCGが投影される。遠くで笛の音が聴こえる気がする。輔礼乃は舞台後方中央で正座し、身体を左右に傾ける。「何処からきたり、何処へゆく…」。スピーカーからアナウンスが流れる。輔礼乃は立ち上がり、漂うように踊る。

影像は、黙示録的モノクロ写真と炎のようなCGが二重映しとなる。炎はやがて雨のようなCGへ変化する。輔礼乃は左掌を頬に当てしゃがみ、うつ伏せとなる。奥で膝を立てて立ち上がる。床には斑の照明が当てられている。影像は、縦四段で雨のようなCGとライブの二重映しである。舞台右上から客席に向けて、強いスポットが投じられる。

「旅から旅へ。ふと寂しいその日暮らし」。アナウンスが流れる。影像は黒地に縦の白い波線が幾つも下るCGから青地に赤、赤地に緑と素早く展開する。三者が入り、4人は縦に連なる。4人は顔をこちらへ向けたまま、身体の向きを左右に、膝を使って上下にも変化する。その姿をヒグマはライブ影像として後方壁面へ投影する。

笛の音が響き渡ると4人は四隅へ拡散する。反時計周りに巡り、4人は中央へ集まる。客席に背を向け、後方壁面に立つ。影像は青地に赤の波紋のCGである。鈴の音がすると4人は宙を漂うように舞う。そしてそれぞれが右手を中央へ差し伸べる。すると映像と照明が落ち、一時間の公演は終了する。

アフタートークでうさぎは「うららかな春」を、礼子猿は「夏、サンバ」を、獏は「アイヌの子守唄 秋」を主題として各10分舞ったことを明らかにした。輔礼乃は竹久夢二の作品の色と季節を動機として自らを振付けたと語った。季節を巡る個々の想いを大切にして、全体を構成したという。

確かに踊り自体のコンセプトは明快であった。それでも踊りの型は、映像によって溶解する。日舞でありながらも単なる日舞に見えなかったのは、無論、花柳輔礼乃の力でもあったが、ヒグマの映像というよりもインスタレーション的空間性が引き出したともいえる。ヒグマは日舞を演出しただけではなく、今日の危機的な動向に対しても明確に主張した。現状に対する意見を発することから、本来、芸術とはスタートすることを知らしめた。

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北里義之[評]

11月29日(月)明大前キッド1Fにて、「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトvol.83」を観劇。12月の最終公演からひとつ前の本公演は、日本舞踊の花柳輔礼乃さんがゲスト。他の出演者は、花柳社中のうさぎ、礼子猿、獏のみなさん。70分の創作日舞。日本舞踊を生で観るのは初体験なので、作りこまれたこの公演が、どのくらい格をはずしたものかわからないのですが、古典的な演目をされなかったからでしょうか、動きや身ぶりの型は日舞でも、群舞などにはモダンのスタイルがふんだんに取り入れられ、ブリコラージュによる折衷的な踊りのように感じました。日本髪ではありませんでしたが、きっちりと和服を着こんで足袋で踊るというスタイルで、群舞の間に、各自が春夏秋冬をテーマに作ったソロのパートをはさみこんでいくという構成。ヴァイオリンが奏でる「さくらさくら」でテーマを提示、録音で朗読される坂口安吾の『桜の森の満開の下』で踊られたうさぎさん、ピアノ・トリオのジャズ演奏で「日舞・ラジオ体操第一」を踊られた礼子猿さんは最後に扇子を出して舞い、扉口から黒子ふたりが乱入してカスタネットを叩くという大団円。狐の面をかぶり、アイヌの古老が無伴奏で歌う子守唄で踊られた獏さんは、「小さい秋見つけた」を口ずさんで季節に結びつけられ、最後の輔礼乃さんは、竹久夢二の詩を素材にしたラジオドラマふうの音源(語りの声はおそらく宇野重吉さんで、このあたりに新劇と日舞の背中合わせのモダニティを感じました)を使い演劇的に踊るなど、多彩な演目が並びました。

【ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトvol.83 with 花柳輔礼乃@明大前キッド】承前。ソロと群舞の構成といい、一列になって蛇行したり、輪を描いたりする群舞のフォーメーションといい、日舞にこんな自由な振付が許されているとは思いもかけない驚きでしたが、ヒグマ春夫さんとの共演ということでは、両者はまったく別の位相を生きているようでした。いわば無関係の関係。ホリゾントに投影される映像は、独自に成立している創作日舞にとっては書き割りでしかなく、いつもはモノクロで投影されるライヴ映像に人工的に色がつくといった新趣向もありましたが、即興的な開けが意味をもつコラボとは別のものでした。この夏の映像展80(8月25日)で、ストリップ・パフォーマンスされる牧瀬茜さんと共演したときにも強く感じたことですが、お客さまに娯楽を提供するために存在する芸事と、ときには観客に見ることそのものに対する疑いを喚起するような気づきのアートとの距離は無限大です。絵画の解体、平面の解体、時間の侵蝕、身体の登場といったようなモダンアートの果てを生きているヒグマさんの絵画行為が、モダンの枠組にきっちりとはまることで成立している芸事と異質なことははっきりしていますが、もしかすると映像展は、こんなことでもなかったら死ぬまで知らなかっただろう社会を、個人芸を通して内側から見るフレームのようなものにもなるということかもしれません。実験でもあれば実見でもあるというような。■



花柳輔礼乃/HANAYAGI Sukeayano(舞踊家) 日本舞踊の伝統を踏まえた意欲的な活動に定評がある。国立劇場はじめ、明治座、コマ劇場など出演多数。主催の「踊民偶」は20年以上発表を続けている。伍代夏子ツアーの振付、出演も。樋口一葉を主題にした井村昂演出の舞踊劇「葉衣」1〜3の振付、出演ほか2016年、K’s Galleryでのヒグマ春夫映像インスタレーションにも出演。

Higuma Haruo(Artist)
映像が介在する表現に固執し「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト」を継続中。他にコラボレーション企画「ACKid」、「連鎖する日常/あるいは非日常・展」がある。Art Meeting 2016-田人の森に遊ぶ- を契機に「映像インスタレーション/海べの知覚」を思索中。


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