ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.84

映像は、体温や、匂い、音、からだの記憶を蘇らせる。

〜キッド・アイラック・アート・ホールの光の刻印へ〜加藤

ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトVol.84
出演・加藤みや子/KATO Miyako(ダンサー)
日時:2016年12月26日(月) Start 19 : 30  2.000円
会場:キッド・アイラック・アート・ホール
   156-0043 東京都世田谷区松原2-43-11
   (京王線・井の頭線、明大前駅 下車 徒歩2分)
    照明:早川誠司     
    写真:坂田洋一
   協力:キッド・アイラック・アート・ホール

「映像パラダイムシフト」は、映像とはいったい何だろう、映像が関わるとどんなことが可能になるのだろうか、 といったようなことを追究しています。

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報告:宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

扉を入って右が舞台、左に雛壇の客席と用意されている。キッドの黒い壁面に、白い紙を主に流線型に切り取ったインスタレーションが施されている。ヒグマは客席右前という定位置だ。奈落が開き、野球帽、オレンジのスーツ、白いズボンを纏った加藤が出てくる。

時間をかけて舞台に上がると、加藤は白い靴を履いていることが理解できる。慎重に奈落の扉を閉め、上着のポケットに手を入れて、舞台を歩き回る。「私は喜怒を持っています。私は哀楽を持っています」。加藤はアート、ホールと語りを続ける。

加藤は左手をポケットに入れたまま右手を翳し、肩を斜めにして足を踏み、体勢を元に戻して再び歩き回る。加藤のダンスの開始から5分、後方壁面に二つの同じ映像が投影される。降り頻る雨、爆破され砂塵が舞うような印象のCGである。

加藤は座って映像に見入っている。立ち上がり、自らの右手を見詰める。モノクロの映像は人影の写真から無数の人の影に見えるCGに変化する。背景はサイケ調にハレーションを起こしている。加藤は静かな、日常にもありそうな仕草を見せる。

ヒグマは映像をライブに切り替える。映像が一旦停止し、キッドの早川誠司による斑の照明が床と壁面を支配する。正に阿吽の呼吸のように、空間性が強調される。胎内のような空間に、加藤は安心して踊り続ける。

ヒグマは再び映像を投影する。サイケ調の色面なのだが、明度を落としているので意味深な印象を与える。我々が目にしているものは現実なのか。そのような印象である、レベルの高い映像である。色面は無数の人の影に見えるCGに転換する。

加藤は足を踏み鳴らし、ヒグマはその姿をライブとして投影する。加藤は床へ、見事に倒れる。強い照明が加藤を照らすと、加藤の体から影が生れてくる。ヒグマはシンメトリーなライブ映像を投影する。加藤は後方壁面を背にして右手を前に差し伸べる。

映像の光はハレーションを起こし、私は色を認識することができなくなり、まるで日光を反射する水面を見詰めている気持ちとなる。加藤は前に出て上着の襟を握り締め、客席に背を向け、肩を窄める。開始から20分、はじめて曲らしき音が流れる。

後方壁面上部に赤いライトが投じられる。加藤はスーツを脱ぎ、帽子を取る。舞台右から左へ移動し、壁面に顔を埋める。映像はライブのシンメトリーと木立のカラー実写の二重映しである。加藤は姿勢をそのままに両手を掲げ、右へ向かって体をずらす。

ヒグマはライブ映像にエフェクトを施し、ハレーションを発生させる。同時に速度も緩められ、まるでコマ送りのように映像内で加藤は踊る。加藤はそのような自らの映像を浴び、象徴的なフォルムを形成しながら右壁面へ抜けていく。鼓動音のみが鳴り響いている。

五色の光が沸き立つようなCGが投影される。この映像総てを、加藤は全身で受け入れる。ヒグマはライブ映像も投入する。加藤は旋廻を繰り返すが、足場を決めて肩から腕を回し始める。そして、フライヤのように、両手で顔を覆う。

バッハ《無伴奏チェロソナタ》が不安定に加工されて流れる。加藤は顔を覆った両掌を回し、自らの髪を掻き毟る。エフェクトされた映像は色やバランスを失い、失うことによって実体のみを見詰めることになる。

加藤は旋廻とステップを繰り返す。高速移動するような、抽象的でサイケ調のシンメトリーなCGが投影される。ここに自然を撮影したカラー実写が混じっていく。シンメトリーなので丁度中央に窓が出現したような錯覚に見舞われる。

《無伴奏チェロソナタ》は第二楽章まで流れて終わる。カラー実写の自然を撮影し加工された映像とライブが二重映しとなる。加藤は右アルコーブへ消える。電子音が流れる。映像は溶解する世界を何とか留め、再構築していこうとしているように見える。

盥に水が滴り落ちるような音が響き渡る。淡々と映像が続く。5分は経過したか、雷鳴のような電子音が会場に満ちるなか、青いドレスに仮面を顔と胸につけた加藤が背を向けて舞台に登場する。映像はCGと自然を加工した実写が入り混じる。

オッペケペ節が聴こえてくる。赤いライトが客席に投じられ、加藤は自らの体を掬い続ける。粉塵が舞うようなCGが止むと、オッペケペ節も止まり、光が潰え、50分の公演は終了する。ヒグマ春夫、映像パラダイムシフト、キッドでの最後の公演であった。

ヒグマは感傷に浸ることなく、最新の映像をキッドに投げかけた。この不安定な、人間どころか存在理由が総て消滅しそうな最悪の状況の中で、芸術が何をしなければならないのかを強く訴えかけ続けた。

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北里義之[評]

12月26日(月)明大前キッド1Fにて、ダンスの加藤みや子さんをゲストに迎えた「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトvol.84」を観劇。キッドにおける映像展の最終回でしたが、当初100回までを目標にしていたので、会場がかわってもそこまでは持続していきたいという主宰者の意向が伝えられています。下手側にある奈落の重いふたを押しあげて登場した加藤さんは、茶色い厚手の上着に白のパンツ、白い靴をはいて兵隊帽らしきうぐいす色の帽子をかぶるといういでたち。映像が入る前に、「私はキッドを持っています」「私はアイラックを持っています」と片手ずつを示し、両手を合体させて「キッド・アイラック」にするという作業をつづけ、最後に「キッド・アイラック・アート・ホール」を完成させて、これからはじまるのがこの場所に捧げる踊りであることを示されました。上手のアルコーヴに入って衣装替えしての後半では、鮮やかな赤いドレスを身にまとい、来年になって連続公演が予定されている『お面・omen』で使われるとおぼしきおかめとひょっとこの面を首から両胸のうえにかけ、笑う大仏?といった感じのお面を顔にかける予想外の展開。全体を通して、力んだところのない自然な流れのダンスは、坦々としていながらも変化に富んでいて、ダンサーご自身を踊る印象でした。

【ヒグマ春夫の映像パラダイムシフトvol.84 with 加藤みや子@明大前キッド1F】承前。最初モノクロームからスタートしたヒグマさんの映像は、少しずつ色彩を加えていき、加藤さんが上着と帽子を脱いだあと、土砂を流したかのような濁った色彩をホリゾント壁に塗りたくる場面にまで変化していきました。加藤さんが衣装替えに入って映像がメインになった時間帯では、水琴窟の水音が鳴るなか、オレンジ、青、黄緑、黄といった極彩色でサイケデリックに染められた山間の景色が次々にチェンジ。この色彩センスは、映画『2001年宇宙の旅』(1968年)のクライマックスに登場する場面──死を怖れるコンピュータHALの作動を停止したあと、木星の衛星軌道上でモノリスと遭遇したボーマン船長が、スターゲイトを通過するときの映像表現を連想させました。そこでも数々の自然は極彩色でサイケデリックに染めわけられ、どんな理論的な説明もつかない高みへの意識変容が、密教的ともいえる色彩で表現されたのでした。ヒグマさんの場合、水のテーマとも関係する里山の映像は、3.11後の世界をとらえるべく「海べの知覚」で扱った自然観の変容に通じているので、この「意識変容」には放射能汚染という複雑な社会問題がからんできます。最後は、日本列島のような形が暗くうごめく映像にダンサーが埋もれたあと、映像が途切れ暗転となりました。今回は、前回萌芽的にあらわれていた色彩によるアプローチを、徹底して行使する映像インスタレーションになったと思います。


加藤みや子/KATO Miyako(ダンサー/コレオグラファー)
アメリカのポスト・モダン・ダンスの流れを引き、繊細さ、間の感覚、集中力など、日本人的な感性がプラスされ展開を続けてきた舞踊家のひとり。幼少より森嘉子、藤井公・利子に師事。アネックス仙川ファクトリーを拠点とし、創造教育の場、コミュニティとしてのカンパニー活動、公演の在り方をディレクションし提供してきた。。五感開発ワークショップ、対談シリーズ<ダンス=人間史>を継続。米、仏、伯(国際交流基金主宰ブラジル五都市巡回公演)、ドミニカ(共)、等に招聘公演。東京新聞コンクール三部門第1位文部大臣、江口隆哉賞、ニムラ舞踊賞等受賞。作品は「あらべすく」「植物の睡眠」「笑う土」等、多様なアーティストとの共同制作多数。加藤みや子ダンススペース主宰。

Higuma Haruo(Artist)
映像が介在する表現に固執し「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト」を継続中。他にコラボレーション企画「ACKid」、「連鎖する日常/あるいは非日常・展」がある。Art Meeting 2016-田人の森に遊ぶ- を契機に「映像インスタレーション/海べの知覚」を思索中。


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