HAMLETS

LIG INC.

反覆し再構築することよって噛み締め、忘れない
丹下一《ハムレッツ》ver.4.0
出演:井村昴、茅根利安、原内真理、橋本識帆、丹下一
映像:ヒグマ春夫|照明:早川誠司
2017年3月10(金)-12日(日)/STORE HOUSE江古田スタジオ5F


宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

丹下一とヒグマ春夫のコラボレーションは、主にヒグマの企画「連鎖する日常/あるいは非日常」展であった。第二回目のキッド・アイラック・アートギャラリー5F(2013年10月3日(木))、三回目のキッド・アイラック・アートギャラリー5F (2014年1月29日(水))、四回目のK’s gallery (2015年2月20日(金))、五回目のK’s gallery(2016年2月19日(金))と続き、2017年は丹下の参加はない。
また、ヒグマ春夫の企画「映像パラダイムシフト」ではVol.69(2015年8月20日(木))、Vol.78(2016年5月21日(日))で共演している。そして、ヒグマとの共演ではないが、ヒグマの企画である「Ackid」にも丹下は第10回(2015年4月23日(木))、第11回(2016年9月24日(土))に参加している。場所は四公演共にキッド・アイラック・アート・ホールである。 今回の《ハムレッツ》は3年目5作目となり、《ハムレッツ》ver.1はタイニイアリス(2015年3月9日(月)-11日(水))、《ハムレッツ》ver.3はキッド・アイラック・アート・ホール(2016年3月11日(金))で開催されている。ヒグマは常に参加している様子だ。丹下は《ハムレッツ》だけではなく《ノスタルギガンテス》シリーズも開催しているので、今回の公演が「Tama+ project」としては20作目となる。
ヒグマは様々なアーティストとコラボレーションを行っているが、約3年間で上記の回数をこなすのは丹下との共演くらいではないだろうか。丹下もまた、自らの公演にヒグマとコラボレーションした数は多いのであろう。公演情報だけを長々と記し読みにくくて大変申し訳ないが、会場が上記のようにキッド・アイラック・アートが大半を占めているということは、チーフディレクターの早川誠司が常に関わっていることを私は示したいのだ。

今回の《ハムレッツ》ver.4.0はSTORE HOUSE江古田スタジオ5Fで開催された(2017年3月10(金)-12日(日))が、照明に早川誠司が参加したことを注目したい。場所を変えても丹下、ヒグマ、早川というトリオが共演することに意義がある。私は上記のヒグマ企画の丹下の公演の大半に立ち会っている。その中には《ハムレッツ》と記さなくとも《ハムレッツ》であった公演もあったに違いない。

今回の公演に立会い、私には様々な既知感と未知が絡み合った、新しい発見があった。会場の天井高はキッド・アイラック・アートホールまではなくとも、決して低くはない。塞がれた窓を含めて、壁面、床、天井は黒く塗られている。左右奥の壁面にヒグマはプロジェクターを三台使って同じ映像を投影し、広大な空間性を生み出した。特に開場時の波の実写かCGかが判別できない映像は衝撃であった。津波と地割れを想起させるのだ。

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今回の《ハムレッツ》でヒグマの映像は、幕間のような役割を果たした。これまでもそうだったのかも知れない。しかし実際には舞台転換の幕間の役割ではなく、録音実写、CG、ライブ映像を駆使したヒグマの映像は、丹下の演劇と等価であったことが重要なのだ。《ハムレッツ》もまたこれまでの二人の共演と同様、演劇と映像インスタレーションのコラボレーションなのである。

早川が操る舞台に12、客席上部3つの豆電球と、舞台上部から客席を照らす強いスポット、上演中の微細な灯り、床天井を含めた六面照明も同様である。丹下とヒグマの現在、近い過去、遠い歴史、果てしない未知の世界、近い未来が混在した物語を、早川は照明によって間接的に、暗喩的に導いていく。時には導くだけではなく、照明が強く主張することによって。立ち会う者は今が過去だったのか未来だったのかを錯覚し、考える。

Placeholder image 開演後、登場した丹下が挨拶と共に《ハムレッツ》の経緯を語る。橋本識帆が「ねえ、ハムレット…」と語りかけることによって、丹下の挨拶は《ハムレッツ》の解説ではなく、《ハムレッツ》が既に始まっていたことを教えてくれる。橋本はハムレットの母、オルフェリア、被災者と、役者と現実を混乱させる。どこまでが現実でどこまでが台本か分からなくなる。立ち会う者は、その両者こそが真実であることにやっと気が付くのだ。

茅根利安、井村昴もまた、ハムレットであったり縄で遊ぶ者であったり、シェイクスピア《ハムレット》にある「水の方から娘のところに行くなんてあるわけない!」という台詞の反語、「水のほうから娘のところへ行ったんだ、絶対大丈夫!」という丹下の「水に流す」この国の風潮を風刺した台本を読んだりする。茅根と井村は同一人物になったかと思うと全く異なる人格を形成していく。この差異にも、人間の浅はかさが浮彫となる。

原内真理は、オルフェリアに徹した感がある。「美しさを貞淑に近づけないほうがいいぞ、美しさは貞淑を下賤に追い込む」というハムレットの言葉に対して徹底的に女の情念を打ち付ける姿によって、橋本が単なる幼年者ではなく少女であることを立ち会う者に訴えていく。原内と橋本の発音は根底的に異なる。だからこそ丹下、茅根、井村に同一する違和感を引き立たせる。

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劇中に何度も同じ台詞が繰り返される。「ブラウン管に腕突っ込めば、血まみれに。何があったか知りたいだけだ」を代表するように、俳句とも短歌とも判別は付かなくとも和歌という様式を大切にすることに、丹下の演出の魅力がある。丹下にとって重要なのは台本ではなく、発音なのではないだろうか。発音を繰り返すことは、耳と心に刻み込むことに繋がる。聞き逃しても、忘れても再び聞けば我々は思い起こすことが出来る。

丹下は2015年に《ハムレッツ》をスタートさせた。理由は2011年3月11日(土)の東日本大震災を風化させないためでもある。ヒグマもまた、自らの公演でも同じ主題を取り扱い、3・11に立ち戻っては作品の再スタートを切ることもある。これまでの二人の共演で聞かれた発音、スマートフォンに録画した声などが再構築されていく。我々はこの果てしない再構築からシェイクスピアの時代を超えて、人間の根底を考え続ける必要が生じる。(12日初見)。

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