水の弾ける瞬間-Vo.1/ヒグマ春夫

円周のない円展 会場:神奈川県民ホールギャラリー 会期:2002年4月
インスタレーション+インスタレーション装置でダンサーが舞(ダンス:立花あさみ、玉内集子)

生まれたら死は必ずやって来る。死が来たら新たな誕生を夢見る。破壊があれば再生を願う。
再生が続けば破壊は来る。反復しながら生物は生きている。死・誕生・破壊・再生・反復のキーワードは、はじける瞬間である。

波打ち際が好きなのは、太古の昔生物が海から陸へ来た境界と言う道筋があるからかもしれない。
あるいは、プチップチッと音をたてて消えて行った波の後に、無数の小さなクレーター状の穴が残り、
その小さな穴が一瞬に消えて行くからかもしれない。

そびえ立つ吸水棟、焼却炉の煙突、屋上の電波塔、高層ビル等を撮った。
あまり美的には思えない被写体が、向こう側というイメージを感じさせてくれた。

 

 
 
神奈川大学でパフォーマンス
 映像を使ったパフォーマンスで、特にプロジェクターを使った野外での展開は、見る場所が大切だとつくづく感じました。投影している側から見た人は、映像とダンサーとの関係がそれとなく解ったのではないかと思いました。が、横から見ていた人は、映像が単なる照明効果として見えたのではないかと思います。自由に動きながら見て回ると良いのだが一旦落ち着くとそうはいかない様です。またダンサーは、映像を浴びている時と、浴びていない時の動きに微妙な変化が感じられました。ただコラボレーションで見てもらおうとしていたtwo things「水と崩壊あるいは解体」というコンセプトが観客にどう伝わったのだろうと自問しているところです。とはいうもののこういったコラボレーション的要素の強いパフォーマンスは、出合いの場でもあると思います。大学のキャンバスということでギャラリー空間とは少し違った人との出合いがありました。また野外ということで自然(風・光・音)の強さを肌身で感じました。吊るしてあった寒冷紗が終始風になびいてスクリーンの役割をはるかに超えていたし、投影するどころではなかった。野外の解放された空間は、使い方によってはメッセージ性の強いもになると思っていました。