1985年5月10日
身体のフュチュアリズム
ゲスト:勅使川原三郎(マイム)+及川広信(解説)+湯本香樹実(音楽家)
第4部「写真と映像」映像:ヒグマ春夫
1985年6月6日
ゲスト:大島洋(写真家)
1985年6月7日
ゲスト:中川政昭(写真家)
1985年7月11日
ゲスト:鈴木志郎康(映像・詩人)
1985年7月12日
ゲスト:山崎博(写真家)
1985年8月1日
ゲスト:小川立(映像作家)+森田和夫(映像作家)
1985年8月2日
ゲスト:楠野祐司(写真家)
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
ビデオ・フォーラム[パフォーマンス講座]
構成:ヒグマ春夫+鴻英良
会場:サウンド・ファクトリー
空問と映像 ビデオパフォーマンスの可能性のために・・・鴻英良(ロシア文学者)
ビデオ・パフォーマンスという言葉をはじめて聞いたとき、私はこの2つの言葉の結びつきのなかに、香気のようなものを感した。パフォーマンスという表現が、創造の始原の匂いを漂わせていたとすれば、ビデオには、テクノロジイの現代的終着点のようなものが現われている。テクノロジィの終着点が、常にわれわれの手の届かない地点にあるとすればビデオ・パフォーマンスは、われわれにとっての始点と終点にある2つのものを易々と結びつけるのだ。実際、ビデオ・パフォーマンスは、テクノロジイ社会における表現に、多くの示唆を提供してくれる。20世紀が映像の時代だとすれぱ、ビデオ・パフォーマンスは、この映像の時代を新しい空問に向けて解放しはじめたと言えるかもしれない。ビデオ・パフォーマンスの最も大きな特徴は、空問のなかにいくつかのビデオ・モニタ一を配置したことである。これは当り前の事実のようであるが、この事実は映像の歴史にとってきわめて決定的なことである。ビデオ・パフォーマンスに立ち会うものは、そこで、空問的に配置されたいくつかの映像と出会う。このとき映像の周囲の空問、映像を取り巻く環境が同時に目に映る。映像はどんな場合でも、明るいところに置かれさえすれぱ、周囲の空問と同時に見られる可能性を持っている。しかし、映像が実際にそのように見られることは稀である。事実、われわれは茶の問のテレビをそのように見たりしない。テレビの番組を見るとき、原則として、われわれはテレビだけを見るのであり、その画像とその周囲の空問とのあいだにどのような関係が生れるかを見たりしない。こうした、われわれとテレビ画像とのあいだの習慣化された関係が、われわれと映像とのあいだに起りうる関係を貧弱にしている。テレビ画像は、額縁舞台のような覗き穴になっているのである。ビデオ・パフォーマンスはこうした映像を空問のなかに解放する。つまり映像をプロセニアム・アーチから解放するのである。空問がひとつのオブジェだとすれぱ、ビデオ・パフォーマンスにおいて、映像はオブジェと出会うのである。ヒグマ春夫のビデオ・パフォーマンスは、映像とオブジェのこのような出会いを、シンプルだが、実に魅力的に組織している。最近東野画廓でヒグマ春夫が開いた個展「ビデオとマニピュレーション」を見て私はそう思った。白壁の小さな部屋に、ビテオ・モニターが2つ置かれていた。右のモニターは少し高い台の上に、左のモニターは低い台の上に置かれている。右のモニターは左のモニクーをのぞくように、その方向に画面を向け、その画面の下から、白い帯状の紙が、ゆったりと傾斜しながら左のモニターまで、水平に渡されている。低い台の上のモニターは、画廊を訪れる人の方に向けられており、その低い台から、やはり白い帯状の紙が、今度は垂直に、われわれのいる方に伸びていた。白い紙が、白い空問を垂直と水平に切り取っているため、狭い空問は鋭いナィフで鮮がに切り開かれたように見え、空問が不思議な亀裂を巡って静かに増殖していくのである。2つのモニクーは、このような空問に穿たれたもうひとつの窓である。この窓は、壁ではなく、空問のただなかに突如出現し、異空問への通路のようにそこにあるのだ。この窓から映像というコピーが流出してくる。複製され、反復されるイメージ。そのイメージは、見知らぬ映像であるかと恩えぱ、いま、この部屋で起っていることの映像であったりする。外部に向けて開かれたこの曲面空間のなかで再生される外部と内部をみつめながら、オブジェを意調したビデオ的映像が、三次元空問をいかに豊かにできるものかと私は感心していた。仮面に穿たれた目や口の穴が、仮面の表情を垂直に貫ぬく異次元の匂いを漂わせているように、三次元的空問のなかに置かれたビデオ・モニクーの画像ば、その造形空問を、外部の目のなかに、あるいは外部の光へ向けて解放する。そして、あるとき思いもかけないほど身近かなものをそこに映し出してわれわれを驚かすのである。しかし、ビデオ・モニターの映像が複製であることは、こうした映像の驚きを、単なる驚き以上のものにしている。倒えば左のモニターの映像をとらえたカメラの映像が右のモニクーに写しだされたとき、映像の映像は、その色調とフォルムをデフォルメされ、複製の反復を個性的なものにするからである。映像の映像は、それぱかりか、最初の映像の住む環境の匂いを徴妙に伝えている。映像とその映像との差がそれほど強調されていない場合でも、複製の反復は、論理のトートロジイのように、同一者を無限に生みだしていくとは限らないのである。ヒグマ春夫は、複製の反復のさまざまなバリエーションを試みているが、そうしたなかから、複製の反複が一回牲のなかに帰される可能性が示唆されはじめている。そして、その瞬間を生みだしつつあるのが、一回性の神話を失墜させた複製芸衛の極北に出現してきたビデオ・アートであることに、私は表現と歴史のアイロニイを感じている(1985年)
パフォーマンス講座-1
1985年11月13日
[映像体験-瞬間と連続]
パフォーマンス:ヒグマ春夫
1985年11月14日
[水の響き]
パフォーマンス:ヒグマ春夫
[タルコフスキーと水のパフォーマンス]
レクチャー:鴻英良(ロシア文学者)
・・・鴻英良
水の映像作家タルコフスキーの映像に特権的輝きを与える水。その水の映像のバリエーションは、つねに思寵のようにタルコフスキーの画面に入り込んでくる。その映像のうるおいは、物の世界にアニマをよみがえらせる。このアニマ的映像は、水のパフォーマンスの魅力と無縁ではない。私はタルコフスキーの映像の魅力を水のパフォーマンスとして語りたいと思う。ビデオの映像は、いかにして、タルコフスキーの水のパフォーマンスと出会うのだろうか。
確かに水は謎めいている。
私はオブジェとしての水が好きだ
水は謎めいた物質である
第一水を構成しているのはたった一つの分子である
けれども 重要なのは そのことではない
水がきわめてダイナミックであるということが重要なのだ
水は 動きを 深さを そして 変化 色彩 反映を伝える
これは この地上で最も美しい物質なのだ
水より美しいものは存在しない
自然現象で 水にその姿を映さなかったものはひとつとしてないのである
アンドレ・タルコフスキー(訳:鴻英良)
パフォーマンス講座-2
1986年1月28日
[ダブル・ドリーム]
パフォーマンス:ジル・スコット(オーストラリア)
ビデオ・ショーイング
[ストレンジャ・コンパニオン]ジョーン・ブレツシル
[フォー・ガールズ]リンダ・ワラス
[ダブルタイム-ダブルスペース]リンダ・ワラス
シンポジウーム
ジル・スコット(オーストラリア)+鴻英良(ロシア文学者)
1986年1月29日
パフォーマンス
[続・二人の男]
パフォーマンス:ヒグマ春夫(ビデオ作家)+丸山亮(音楽家)
[劇・空間・映像]
レクチャー:鴻英良(ロシア文学者)
・・・鴻英良
かつて、エイゼンシュテインが夢みた映像のなかに、ジョイス的どでもいうべき映像があった。ジョイス的とは、多義的現実に対する人間の内面の対応の仕方を、そのあり様のままに告げる内的モノローグの映像化である。映像の歴史は、その夢の実現過程てもあった。そして、ビデオ映像が表現媒体として、多くのアーティストによって使用されるようになったいま、多義的、多層的な映像のポエジ一は、現実の空間のなかに、新しい”現実”として出現しようとしている。84年、夏、富山県で開催された「利賞フェスティパル・84-第一回国際芸術祭」において、私は、映像と空間との関係について考えはじめる契機となった衝撃的な舞台に出会った。それは、アメリカのリー・ブルーアーが演出した「メソカ参拝」という作品である。それは、舞台のなかのさまざまな映像が身体の俳優とのかかわりのなかで生みだす世界を表現する実に魅力的なものだった。それ以来、私は、劇こおける映像の問題について考えつづけている。私にとって、きわめて幸運なことに、そうしたなかで、映像と空間とのかかわりに関心を示す多くのパフォーマンス・アーティストと出会うことができた。彼らとの出会いのなかで、現在、私は、舞台の上の映像についてのそしてまた、空間のジョイス的変貌とでもいうぺきものについての省察へとかり立てられている.(1986年)
パフォーマンス講座-3
1986年4月2日
パフォーマンス
AN CHI IN(韓国)
LEE GUEN YONG(韓国)
ヒクマ春夫(ビデオ作家)
1986年4月3日
ビデオパフォーマンス
ヒグマ春夫(ビデオ作家)+根津のりゆき(音楽家)
[ニューヨーク3月31日深夜発信アーツの現在]
レクチャー:鴻英良(評論家)
パフォーマンス講座-4
1986年7月24日
「インターコラボレーションの240分」
ヒクマ春夫(ビデオ作家)+竹田賢一(音楽家)+永山聡子(日本画家)
レクチャー:鴻英良(評論家)
パフォーマンス講座-5
1986年11月27日
1部:パフォーマンス
[ゆらぎ伝説こまごめ]
ヒクマ春夫(映像)+永山聡子(身体)+千野秀一(音楽)
2部:シンポジウム
[ゆらぎと映像]
鴻英良(評論家)+粉川哲夫(評論家)+佐々木幹郎(詩人)
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
福島県桧技岐村で、パフォーマンス・フェスティバル86が行われた。そのとき「ゆらぎ伝説ひのえまた」と題したパフォーマンスを展開した。「ゆらぎ伝説ひのえまた」は、桧枝岐に存在する、自然現象をVideo
TOTEMと共に組織し、そこで発生する「時・空間」それ事態をパフォーマンスとする試みであった。桧技岐では、水・石・川・草・木・山・家・空・星などと映像が出会う。ビデオ・カメラはそれらの自然物を魅力的に捉えVideo
TOTEMに映しだす。映しだされた自然物の映像と自然物、それ事態が奇妙な相互関係をつくりだす。この奇妙な関係の中に「ゆらぎ」の始原性が潜んでいる。そう思わずにはいられなかった。そして、それは映像の発祥地でもあった。しかし、「ゆらぎ」は映像の中にだけあるものではない。人の身体運動の中にも「ゆらぎ」はある。映像と身体と音の「ゆらぎ」が融合する「時・空間」を三人のアーティストが、駒込の場で試行する。
1987年
ゆらぎ
会場:サウンド・ファクトリー
出演:ヒグマ春夫(映像)+永山聡子(身体)+竹田賢一(音)
1987年のパフォーマンス「ゆらぎ」で、駒込のサウンド・ファクトリーでの企画は全て終了した。
一連の駒込サウンド・ファクトリーでの企画が終わったころ、カナダでのパフォーマンスの話が持ち上がってきた。1989年に準備の為バンクーバーに行き、ウェスタン・フロントのハンクに会った。ハンクはカナダの文化省のサポートで、1990年にカナダを横断するパフォーマンスを企画した。その企画に、わたしとイトウ・ターリが参加した。ビクトリア、バンクーバ、ウニぺック、モントリオール、オタワ、トロント、ハリファックス、モンクトン、ケベックシティーの9都市で、2ヶ月間に渡る公演だった。この企画の後、わたしはニューヨークに1年間滞在することになる。