Rewind   記憶の覚醒・ヒグマ春夫/デジタルスケッチ
     

(注1)1977年「AからBへ」東京都美術館

 
(注3)1976年8月7日2時〜3時 長崎県加津佐海岸
 
(注2)1976年9月「phase」村松画廊 個展
 
(注4)1976年9月「phase」村松画廊 個展

 デジタルスケッチとは、デジタルカメラで対象を捉えることを言っているのだが、デッサンみたいな感覚で捉えると面白くなる。デッサンとちがうところは、鉛筆で描く変わりに、カメラで捉えることの違いである。この違いは身体に対するアプローチが全くちがう。比較してみると、デッサンの場合は、鉛筆を手で持って、あるいは握って、あるいは口にくわえて、あるいは指にはさんで描く。いずれの営為も紙に向かってエネルギーを使っている。デジカメの場合は、一本の指で押さえて対象を捉える。対象との対峙がなんとなく軽薄になる。ここに握ることと、押すことのエネルギーの使い方の違いがある。では描かれた対象を見る場合にはどうだろうか、デッサンは紙をめくればいい。と同時に紙を照らす明かりがあればいい。デジカメの場合は、液晶モニターで見ることができ、プリントアウトしても見ることができる。モニターで見る場合は紙と比べて、照らす明かりがない方が鮮明になる。ここに自らを照らすことによって見える対象と、照らされることによって見える対象の違いがある。では脳に与える影響はどうなのだろうか、デッサンの場合は、描いているときに、微細に対象を観察し、隠れている部分も想像し描く。そのことによって対象を脳に創造的に記憶させている。対象はデッサンを通して脳に送られ、デッサンを軸としたフィードバック構造を反復して対象を認識し創造する。デジカメの場合は、脳が関与するには幾つかのフィルターを通過しなくてはならない。プリントアウトする場合は、プリンターの性能と大きさによって脳に与える影響がちがう。ハガキとポスターとでは、同じ画像であっても刺激の度合いがちがう。映しだされるメディアによっても違う。プロジェクターで等身大以上に映しだされると、そこに映された画像から新たな創造が生まれる。そして、最も大きな違いは、データとしてコンピュータに記憶させることができる。一旦コンピュータに記憶させると、さまざまなソフトを使い創造は拡大する。

    
    
 ここに一枚のデジタルスケッチがある。8枚のデジフォトを組み合わせたものだが、8枚のデジフォトの共通の認識は、三角形の青い紐である。青い紐を繋げることでデジフォトはデジタルスケッチになっている。青い紐を繋げることを目的に撮影したデジフォトだが、カメラの視点は一定ではない。そのため、青い紐は三角形に繋がっているのだが、8枚のデジフォトには幾つかの重複した背景が写っている。この重複した背景がデジタルスケッチの特徴といえる。その重複した背景を注意深く覗き込むと、時・空間の不思議感を読み取ることができる。空間を認識するには、その空間に何かものを置くと分かるといわれているが、ここでは背景の重複した画像が時・空間を感じさせている装置になっている。実はこの重複は人間の眼差しの構造に似ている。人間の眼は何かを見る時、その他の被写体はぼやけている。そのことは鏡を覗き込むと分かりやすい。わたしたちが鏡を覗きお込む時、一点を集注してみている。見えているはずの他の部分は意識にはない。見えていないのではなく意識にない。デジタルスケッチの重複した背景は、青い紐に対して無意識の眼差しの現れである。
    
Haruo Higuma Exhibition
COLD CORTEX WORKS
2007. 6/21(thu)-8/14(tue)