記憶の覚醒・冷たい皮質/ヒグマ春夫

BEAMS展示作品/2007.6
ヒグマ春夫・展/記憶の覚醒・冷たい皮質
Haruo Higuma Exhibition/COLD CORTEX WORKS●2007.6/21(thu)-8/14(tue)
      
   

「記憶の覚醒・冷たい皮質」
川の端には大きな石が並んでいた。大きな石を繋ぎあわせるように部分的に何枚も撮った。PCに入力し部分的に撮った写真を繋ぎあわせてみた。石と水とが接するところは微妙に揺らいでいて繋げると不自然である。水の部分を隣の写真と比較すると表情の違いに感動した。当然のことだが、石は定まっているから部分的に撮った写真でも繋ぎあわせると自然に繋がる。しかし、川の水は流れているため、そのシャッタチャンスによってさまざまな表情を表している。フラクタル、ディファレンス、直感などのことばが脳裏をよこぎる。インスタレーションでは、その前に水滴装置をセットし、床には竹で構成した水受のボールが置いてある。
インスタレーションに生な水を組み込んでいる。そんな空間でパフォーマンスをすると絶えず新鮮な出会いがある。そのキーワードは生である。生なものは微妙にゆらいでいる。組み込まれた水は雫となって受け皿に落ちている。雫が落ちる度に容器は波紋を拡げている。ただそれだけのことなのに、新宿のギャラリーで観ると感動する。差異ということか。「差異」ということを考えDIFFRENCEという作品を制作したことがある。差異を考えると、何かと何かのあいだには狭間がうまれる。その狭間は微妙で常にゆらいでいるといってもいい。そう感じればの話しであるが感じない人もいる。何かと何かを例えば、都市と山村、若者と老人、男と女、自然と人工、動きだったら日常的な動きと演じる動き等と「と」で接続してみる。今回は「自然と身体」を接続してみた。
自然と身体というとき、ここでは最低二通りの状況が考えられる。一つは被写体となっている身体のことであり、もう一つは撮る側の身体である。被写体となる女性に多摩川の河川で、あなたがここで感じる動きをしてほうしいといった。その動を撮りますと。女性は草むらで寝転がったり、這い回ったりした。そう感じているのだろうとカメラを向ける。時間が経過するに従い私情に変化が表れる。気がついてみるとカメラを通して対峙している。今はただ撮る立場にはいない。カメラを表現のフイルターにしパフォーマンスをしている。観客は石ころや草花である。DVDはそのとき撮った映像を編集したものだが面白い。20分の「記憶の覚醒・冷たい皮質」Vol.1/Vol.2がある。

  
身体オブジェ:小林美萌
       

BEAMS JAPAN 6F B-Gallery
東京都新宿区3-32-6 BEAMS JAPAN 6F
TEL.03-5366-7309 営業時間11:00-20:00

2007. 6/21(thu)~8/14(tue)

Performance/Start 17:00〜
6/23(Sat)Sound:Fumie
7/14(Sat)Sound:Yumiko Yoshimoto
7/21(Sat)Sound:Makoto Kitamura
8/4 (Sat)Sound:Makoto Kitamura
8/11(Sat)Sound:Sakasegawa
Body:Mimoe Kobayashi(every time)
Planning & Video:Haruo Higuma

6/23パフォーマンス/Fumie+Kobayashi Mimoe