1973年、(注1)150メートルのたばこを制作した。制作と言っても煙草の吸い殻を集め、繋ぎ合わせただけのものである。動機は自分に対する禁煙だった。が、実際に自分で煙草を止めたのは「煙草のオブジェ」を作りはじめてしばらく経ってのことである。
不思議と一つのことにこだわると、いろんなことを考え、いろんなことを起こすものである。「煙草」をモチーフにした、たばこ新聞、版画、平面、立体、DM、写真、ビデオ、パフォーマンス等々を実施し制作をした。
(注2)の「こんにちはたばこ」展は、小林はくどう+岡本章+ヒグマ春夫の3人が構想した展覧会である。会場には、35本の一升瓶に詰められた煙草。その一升瓶のオブジェをいろんな場所で撮った写真。会場で観客に煙草を吸ってもらう様子をビデオで録画しリアルタイムで映しだすことだった。
確かに、煙草は健康には良くない。煙草のケースには「健康のため吸い過ぎに注意しましょう」と書いてある。かとおもえば、原住民は友達になるための儀式として、煙草の回しのみをしていたという。また煙草の行動学という論文もあり、煙草神社、煙草旅館があったという。煙草はわたしたちにとって身近な存在である。あったと言うべきかもしれない。そして専売公社が民営になった。