DOMANI・明日展 2008/THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO/HIGUMA HARUO


December 21, 2008 (Sun) Performance by HIGUMA Haruo

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宮田徹也(日本近代美術思想史研究)

モノクロの人物の写真+波と球体の動画、五彩の変形する漢字のCG+波のカラー動画+テロップを常設の11枚の紗幕に向かい合うプロ ジェクターが投影する展示に加えて、側面に別のプロジェクターが一台設けられる。

町並みの風景をカラーで写した写真が、側面の壁にゆっくりとスライドショーされる。いずれの写真にも、撮影者の影が中央に写りこ んでいる。撮影中に録音したのだろうか、町の雑踏と歩む音が聴こえてくる。裸足でしゃがむヒグマは、その様子を見詰める。

ヒグマは立ち上がり、紫の風船を膨らませ始める。その様子は後部から見ると、写真の影と重なっている。風船は破裂する。もう一つ の風船を取り出して膨らませ、口を縛り、そこに括り付けた凧糸の先端は、1.5メートルほどの余裕をとって、隕石に結ばれる。

写真のスライドショーは何時の間にか影のみとなり、その影は刳り抜かれ、俯瞰からみた波、若しくは雲の—青と白の—動画が上昇す る。この動画はフラクタルに展開する。

ヒグマは膨らませた風船をプロジェクターと壁の間に置き、点滅する白と赤のライト二機をその傍らに添え、ペンライトを床に転が す。室内空調のためか、風船が僅かに揺らめく。そこにも映像が映り込んでいる。

転がしたペンライトを床に置き、取り出したもう一つのペンライトを床から垂直に天井に向けて固定する。ヒグマは立ち上がり、小型 カメラを手に取り、壁の映像をライブに切り替える。

再び床に手を沿え、そこから風船をとらえ、立ち上がり、今度は自らの顔を小型カメラによって映し出す。壁に映る映像は、見ている のではなくこちらがヒグマに見られているような錯覚に見舞われる。風船の影が映像に入り込んでいる。

ヒグマは自らの顔を映しながら小型カメラを上に掲げ、カメラがヒグマの頭部をとらえると撮影者の影の映像に戻る。その輪郭の内側 では、街の白黒写真が素早くスライドショーされる。

ヒグマはその輪郭にカラーペンシルを用いて、赤や緑の線を引き始める。子供が色面を塗り潰すようにランダムで、恣意的で、勢いが ある。この作業をシュールレアリズムの技法、オートマティズムと読み解くことも可能なのかも知れない。点滅するライトに照らされ る風船は、その光を反射している。

描写を終えたヒグマは、風船を何度も蹴り上げる。風船は自由である1.5メートルほどの空間を漂い、映像を受け止め、舞っては落ち ていく。

右から左へ光の陰影を創り出す、四重に露出されたライブ映像に切り替わる。ヒグマはその像に引き込まれるように壁に近づき、描い た線を輪郭ごと壁から剥がす。新美術館の壁に直接描いていたのではなく、紙が貼られていたのであった。

その紙で自らを包んでいく。しゃがみ込み、立ち上がり、両手で紙を背中に翳して、街の白黒写真の素早いスライドショー映像に溶け 込んでいく。淡々と常設展示の映像は続いている。

紙をまとめて頭上に掲げ、左足一本で立ち尽くし右足を宙に漂わせる。

床にある小型カメラと点滅する二つのライトを紙で包み、その上に風船の重石を置き、映像を小型カメラのライブに切り替える。壁に 映る映像は、紙の中からのライブだ。

ゆっくりとプロジェクターが閉じられ、街の雑踏と歩む音が断ち切られ、30分の公演は終了する。

ヒグマはこのような展開を、映像との関連で行為しているので予測不可能であると言う。その展開を考察する。

先ず、展示作品に手を加えるのではなく、別の素材を持ち込むことはパフォーマンス性をより強化することになることを指摘する。

次にパフォーマンス自体である。自己の影を写した写真が連続されることによって、時間が積み重なっていく。その影を反転して映像 を内在化し、過去から未来という時間軸を未来から過去へ変換していく。そして着色し壁から引き剥がすことにより、影という時間を 現在という空間に投じる。その影を丸めて小型カメラを包み込み、その内部で起こる事態を映像として外側に映す。あらゆる移動が行 なわれている。

それは風船も同様である。任意の空間でしか移動が許されない風船は、そうである限りにおいてその空間を見詰め、時間軸を甘受す る。影が横の移動だとすれば、風船は縦の移動を行なっているのだ。

そして、ヒグマ自身の存在である。ヒグマはこの空間と時間の軸の間を、外から神のように見詰めるのではなく、内に篭って近代的天 才思考を発動するのでもない。時空間軸でありながらも「ここにいる一人の作家」であり続ける。「ここにいる一人の作家」は予め決 められた事項をこなすのではなく、そこで起こった出来事を受け止め、開かれた「パフォーマンス作品」として提示するのみに従事す るのだ。

未来に開かれたパフォーマンスには、予想は不可能であろう。そのような現場に立会い、同じ時間を過すことにこそ、この稀有なヒグ マの仕事を理解する機運が設けられているのではないだろうか。


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Placeholder image 撮影:川上直行


Higuma Haruo(Artist)
'90年度文化庁派遣芸術家在外研修員。その成果発表が'09年国立新美術館で「DOMANI・明日」展として開催され映像インスタレーションと映像パフォーマンスを行う。 '02年映像を組込んだインスタレーション「DIFFERNCE」で、第5回岡本太郎記念芸術大賞展で優秀賞を受賞。'04年「水の記憶・ヒグマ春夫の映像試論」で川崎市岡本太郎美術館で個展。その後イスタンブールのAKBANKでグループ展。テヘラン現代美術館で「The Shining Sun」展。'05年府中市美術館でライブ・インスタレーション「深層風景」。'06年横浜赤レンガ倉庫1号館で「日本ーイラン現代美術展」「落花水・思索」。 '06年、'09年大地の芸術祭「越後妻有アートトリエンナーレ」 '06年からACKidを企画継続中。'08年から「ヒグマ春夫の映像パラダイムシフト」継続中。


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