ミメーシスする身体・反復の精神

●シリーズミメーシスする身体 Vol.4
 [自然とテクノ]
 ビデオ・インスタレーション
 会期:1999年2月8日(月)〜2月13日(土)
 会場:ギャラリースペース21)
 時間:am.11:00〜pm.7:00
   (但し最終日は、pm.5:00まで)
 Installation:ヒグマ春夫(映像)
 出演: 9(火)平石博一(音楽)
    10(水)岩名雅記(ダンス)
    11(木)平野晶広(ダンス)
    12(金)紙田昇(ダンス)
   
 コラボレーティブ・パフォーマンス
 日時:1999年3月4日(木)開演6:30〜
 会場:ビクターニッパーズギンザB1ホール
 1部=出演:佐土原台介(朗唱)
      ヒグマ春夫(映像)
 2部=出演:室野井洋子(舞踏)
      向井千恵(胡弓)
      ヒグマ春夫(映像)
  
 日時:1999年3月5日(金)開演6:30〜
 1部=出演:さがゆき(ボーカル)
      ヒグマ春夫(映像) 
 2部=出演:北野啓子(ダンス)
      平石博一(音楽)
      ヒグマ春夫(映像)
     
 主催:CT-Project
 協力:ギャラリースペース21
     日本ビクター(株)
 助成:芸術文化振興基金助成事業

ミメーシスする身体

 水はいつも身近な存在として、わたしの周りにある。映像を通して表現を試みる様になった頃から、何故かしら作品のタイトルに水という言葉が出てきていた。「水の響き」、「水のでんせつ」、「水鏡」、「水の記憶」、「地・水・火・風・空」等々である。作品のタイトルと水とが直接に関係を持っている作品もあるし、イメージだけの作品もある。今回は「水」そのモノの物質性ではなく「水」という漢字(記号)に焦点をあててみた。「水」(記号)はどういったイメージを、わたしに伝えているかである。わたしが思う「水」は、清水が湧き出る小さな池の水である。その池のほとりには大きな大木がそびえていて、こぼれ日が水面を輝やかせている。そこは何時もひんやりとした空気を漂わせている。そんな水の記憶をもとに、漢字の「水」に様々な映像を重ねてみた。そこで無意識に選びだされた画像は、女性の身体が多い。「水」と「女性」なにか関係がありそうである。人間を仰向けにし両足の足首を軽く握り引っ張る様に左右に揺らすと、身体が水まくらの様に揺れる。人間がほとんど水分によって構成されていることが解る。「水」と「water」この記号も気になる。わたしが「水」という時の背景には、日本古来の「水の神様」的な印象がある。元来、日本の伝説には五元素が神様になってるところが多い。しかし、「water」といった場合は、神秘性はなく、水道の蛇口から溢れ出る水のイメージがある。「水」も「海水」になるとまた少しちがう。その場は、海と陸との狭間が気になる。その場に自分の身を置いてみよう。そこで何をするか、何を考えるかを探ってみようと思う。実際にその狭間に立ってみるととても気持ちの良いことがわかった。砂に腰を据えごろっとしてしまう。そして、海を眺める。海を眺めていると、波がなんどもなんども押し寄せてくる。その波の繰り返しは、わたしを飽きさせることはない。「反復という表現行為」と「ミメーシスする身体」が、わたしの脳裡でつながった。